愛がわからない人に知ってほしい‥誰もが愛を学びながら生きている
愛がわからないと感じることは誰にでもあります。
多くの人が愛とは何かと悩みながら人生を歩んでいるといってもよいでしょう。
この記事では、愛を理解するために大切だと思われることをまとめてみました。
私自身、いまだに愛とは何かわからないところはありますが、愛を理解するための参考になるところもあると思います。
目次
愛がわからない人へ
愛には感情が深く関わっているので、自分の感情や他の人の感情を理解することが必要になりますが、愛がわからなくなっている人は、傷つくのを恐れ、自分の感情を感じないようにしてきたところがあるのではないでしょうか。
自分の感情を感じないようにしているという事実に気づくこと自体が恐怖でもあるのですが、愛がわからないと感じるのは、この恐れと向き合える時期がきたというサインでもあります。
ですから、自分の感情と上手く向き合えなければ、愛もわからないのです。
愛がわからないとどうなる
愛は人間関係や幸福感にとって重要な要素です。
私たちの体は、食べ物の栄養で育つとしても、心の成長には愛は欠かせません。
愛がわからなくてでてくる問題点としては、様々なものがありますが、代表的なものとして、
- 対人関係が苦手になる
- 自分に自信がもてなくなる
の2点が考えられます。
対人関係が苦手になる
愛は人の気持ちに共感したり、思いやる気持ちが必要になるように、感情と深く関わっているので、愛がわからないと他の人との感情的なつながりを築くのが難しくなってしまいます。
ビジネスでは、合理的、論理的な判断が重視されるとしても、感情を理解しようとする気持ちがなければ、信頼関係を築くのは難しいかもしれません。
特に、恋愛関係においては、相手を思いやり、理解しようとする愛の思いがなければ、論理的に正しくても冷たい人だと思われてしまうでしょう。
自分に自信がもてなくなる
自己信頼は他の人からの評価が大きく関わっています。
この評価は、こんな自分でも愛されていると感じられているところから得られるものです。
愛とは、人と人とを結びつける力でもあるので、愛を感じられなければ、私たちは孤独感や不安を感じるようになってしまいます。
人はひとりでは生きていけません。
自分はひとりではない。
仲間とのつながりがある。
それは、愛によって結ばれている。
そう思えるところから、自己信頼も生まれてきます。
愛がわからなければ、他の人との結びつきに気づけなくなってしまうのです。
それは、自分に自信がもてなくなるだけではありません。
自分という存在が不安定になるため、自分が何をしたいのかも分からなくなってしまうのです。
愛がわからないのはなぜか
愛がわからないのは、過去の経験において、愛を学ぶ機会が少なかったからだと思われます。
親からの愛情が希薄であったり、コミュニケーションをとる機会が少なかった。
また、毒親であったりすれば、愛とは何かを学ぶことなど出来ません。
一般的には、親は子供に対して愛情表現が上手くできないとしても、自分なりに愛情をもって接しているはずです。
しかし、親であっても完璧ではありません。
普段は優しくても、イライラしている時などは、子供に当たってしまうこともあるでしょう。
そうした時、子供としては、普段優しい親がなぜ怒ったのかわからなくなり戸惑ってしまいます。
単に親の機嫌が悪かっただけであるのを、自分のどこがいけなかったのかと考えてしまうこともあり、このような事情を理解できないところが愛がわからなくなる原因にもなっているのです。
相手を理解できない
愛がわからない原因が子供時代の経験にあるとしても、子供時代のつらい記憶を癒すには、思い込みを手放す必要があり、それには、わだかまりのもとにある相手の行動を理解することが大切になっています。
相手を理解できない、または、理解しようと思えないのは、心のなかの思い込みを手放したくない何らかの理由があるはずです。
それは、まだ何らかの悔しさが収まらないのでしょう。
それだけ相手を信頼していたのかもしれません。
しかし、悔しさが収まらないうちは相手の愛ある行為まで信じられなくなってしまうので、愛がわからなくなってしまうのです。
愛がわからないと悩む人へ
愛とはなにか?
愛の定義は様々になされているとしても、「愛溢れる人」というと、幸せな人であるのは間違いないでしょう。
人生が成長していくものであるならば、私たちの人生は、愛を深めていくためにあり、愛とは何かを学びながら生きているといってもよいかもしれません。
それは、人生に起こる問題には愛を学ぶ機会が多く含まれているからです。
愛を学びながら生きている私たちであるのに、愛がわからなくなってしまうのは、愛を受け入れる思いよりも、愛を妨げる思いが強く働いているからだと思われます。
愛を妨げる思いを取り除くためには、
- 相手を理解するように努める
- 自分の感情と向き合う
- 人の喜ぶことをしてみる
という3つ行いが大切になります。
相手を理解するように努める
愛は他者との関係において生まれるものです。
対人関係の問題は、相手が理解できないところから生じてきます。
しかし、本当のところは、理解しようとしていないのかもしれません。
相手が理解できないと否定してしまえばそれまでであり、それでは愛を学ぶ機会を逃してしまいます。
自分では考えられない行動であっても、そうした行動をしてしまうのは、なんらかの事情があるはずだと考えるのは難しいかもしれません。
しかし、相手を理解しようと努めること自体が愛の行為なので、相手を否定しなくなる分だけ愛ある人になれるのです。
自分の感情と向き合う
今まで否定していた相手を理解しようとすると、感情が高ぶってきたり、許せない思いが込み上げてくることもあるでしょう。
それは、相手が非常識であるからとは限りません。
傍から見れば何でもないことや、善意であってもありがた迷惑である。と感じて相手を否定しているところもあるはずです。
このような相手を理解するには、自分の心のなかにある理解を妨げている感情を解放させる必要があります。
しかし、感情は理性的な考えで納得できるものではありません。
理性的な考えで納得させようとする行為は、納得できないという自分の考えを否定する行為になってしまうので、余計に反発されてしまうのです。
感情と向き合うとは、感情をそのまま感じてあげることであり、湧いてくる気持ちを味わうことで、気持ちは否定されずに解放されていきます。
解放させると大変なことになると思い込んでいるので、抑え込んでいる感情を解放させるには勇気がいりますが、自分の気持ちを味わってあげることで、自分の気持ちが分かるようになるのです。
今まで自分の気持ちに蓋をしてきたから、自分の気持ちを感じることができずに愛も感じられなかったところがあるのです。
人の喜ぶことをしてみる
愛は自分ひとりだけでは理解できるものではありません。
なぜなら、愛は人と人との間に生まれるものだからです。
どちらかが働きかけなければ、愛は生まれません。
愛を受け取る学びもありますが、愛を実践し生み出すことで愛ある人になり、愛とは何かが分かるようになってくるのです。
人の喜ぶことをするのは、愛の実践になります。
まずは、小さな愛を実践していくのがよいでしょう。
人を理解しようとするのも愛です。
他にも、
人の良いところを見つける
人を褒める
感謝する
人の幸せを願う
祝福する
など、心がけ次第ですぐに出来ることはいくらでもあります。
こうした習慣により、心の中の愛が育まれ、より大きな愛の実践もできるようになり、愛とは何かも少しずつ分かるようになってくるのです。
まとめ
愛がわからない人が愛を理解するために、
愛がわからないとどうなるのか。
また、愛がわからないのはなぜなのか。
さらに、
愛を理解するために、
- 相手を理解するように努める
- 自分の感情と向き合う
- 人の喜ぶことをしてみる
という話をしてきました。
愛のない世界は孤独な世界です。
自分ひとりの喜びは、いつまでたっても自分ひとりのものでしかなく、そこに愛はありません。
他の人と分かち合うことで愛は生まれ、喜びも拡大していくのです。
愛とは理解すること。
愛とは許すこと。
そうであるならば、相手を否定せずに、理解しようと心がけることも愛の実践になるはずです。
参考になれば幸いです。
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