「運命とは何か」を知り、運命に翻弄されない人生を生きよう!
私たちの人生には、時に自分の力ではどうにもできない避けられない不幸や災難が起きることがあります。
このような人生にめぐってくる出来事が「運命」と呼ばれています。
運命の存在には、よくわからないところがあります。
〇 運命はあるのか?
〇 どうすれば変えるられるのか?
〇 変えられない運命はあるのか?
〇 変えられないとしたらどうすればいいのか?
これから、これらの疑問を解くヒントを紹介していきます。
きっと、あなたなりの「運命とは何か」をつかみ、運命に翻弄されない人生を歩んでいく力となるでしょう。
目次
運命はあるのか
運命とは辞書によると
1、 人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力。また、その力によってめぐってくる幸、不幸のめぐりあわせ。運。
2、 将来の成り行き。今後どのようになるかということ。
とあり、どちらも運命というものを上手く表しています。
1番目の人間の意志を超越した力の働きが運命であるなら運命は変えらないものとなります。
2番目の将来の成り行きを運命とするなら私たちの行動次第で運命は変えられることになります。
どうやら、運命には変えられるものと、変えられないものがあるようです。
変えられない運命とは何か
運命と似ている言葉として宿命というものがあります。
そして、運命は変えられるが、宿命は生まれる前から決まっているので変えられないと言われています。
しかし、変えられないというのは宿命だけでなく運命の中にも自然災害のように自分の力ではどうすることもできないものもあり、これらは自分の力では変えられない運命と言ってもよいのかもしれません。
このあたりが「運命とは何か」がよく分からなくなるところではないでしょうか。
社会、国家にも運命はある
社会が個人の集合体で成り立っている以上、社会・国家にも運命というものがあるはずです。
会社で例えると、「自分の成績は良くとも、会社全体としては振るわずに倒産してしまう場合もある」ということと同じようなものです。
このような個人を超えた運命に対しては、影響を与えることは出来るが、個人の力で変えられると言えるかといえば、組織が大きくなればなるほどに難しくなってくるのは明らかでしょう。
このように、個人の運命と社会、国家の運命があると考えれば、「変えられる運命、変えられない運命」とは何かということが理解しやすくなります。
変えられない運命の中で、変えられる運命とは何か
運命共同体という言葉がありますが、自分一人の力で国の行く末を変えるのが難しいように、時代背景という運命の影響を避けることはできません。
しかし、同じ環境にあっても、個人としてどのように考え、行動するかによって結果は大きく変わってきます。
これが原因結果の法則といわれるものです。
善因善果、善い行いをすれば善い結果が得られる。
悪因悪果、悪い行いをすれば悪い結果を得ることになる。
とても単純ですが、仏教の中にある教えで、日本人にも馴染みがあり納得しやすい考え方です。
「個人を超えた大きな運命(変えられない運命)の影響は受けるとしても、自分の運命は原因結果の法則により、自らの行いによって、良い方向に変えていくことが出来る」といってよいでしょう。
運命に翻弄されないために
個人を超えた運命の影響は避けられないが、自分の運命は原因結果の法則により、良い方向に変えることができる。という話をしました。
しかし、ここでもう一つの疑問が出てきます。
善因善果で善い行いをしている人でも、事故・自然災害などの影響で不運に見舞われることもある。
このような報道はニュースでよく見かけることです。
「あんなにいい人に何故・・・」という割り切れない思いを持つことがありますが、「運命とは何か」を考える機会でもあり、運命に翻弄されないためにも考えておく必要があるでしょう。
過去世のカルマとは
「あんなにいい人に何故・・・」 今までのその人の行いから見ても、どう考えればよいのか分からない出来事があることは、皆経験されているでしょう。
原因結果の法則で運命がつくられていくとして、生まれてからの人生の行いだけでは理解出来ない時の考え方として、スピリチュアル的になりますが、カルマの法則というものがあります。
カルマとは「業」とも言い、意味は「行い」のことで、自分がなした行為の結果が本人に返ってくる働きのことです。
一般的には悪いことをすれば悪い結果が自分に返ってくるようなイメージが強いですが、良い行いには良い結果が返ってくるのもカルマの働きです。
そして、カルマは今世だけで作られたものの影響だけでなく、前世から引き継いで今世に影響を与えるものもあり、その結果を受け取ることをカルマの刈り取りと言います。
今世だけでは理解できないとしても、前世のカルマだと考えれば起こりうることだと納得できるのならば良いのですが、記憶のない前世のことを言われても納得できないところは出てくるでしょう。
このように考えても分からない運命に対してどのように向き合っていけばよいのか、ひとつの物語を紹介します。
運命とは何か
運命とは何かを考える際に、旧約聖書に出てくるヨブの物語がとても考えさせられるものとなっています。
ヨブという名のとても信仰深い男は、経済的にも、家族にも恵まれ、幸せに暮らしておりました。
ところが、ある日を境に次々と災難に襲われ、最愛の子供たちや財産を失うことになります。
そして、さらにヨブの全身はひどい皮膚病で覆われてしまいます。その姿は、妻から「神を呪って死になさい」といわれるほど悲惨なものでした。
さすがに、なぜ私がこのような目に遭わなければならないのか理解できずヨブは神に対して不信感をいだきます。
それに対しての神の言葉は「人類創造に関与していないお前に、いったいなにが分かるのだ」というような内容でした。
神の語りかけを聞いたヨブは、神のすることすべてを理解できると思っていた自分の思い上がりを悔い改め、その後は以前にも増して幸せになりました。という話です。
この話を知っている人もいると思いますが、どう思われましたか?
私なりの解釈を次に紹介してみます。
運命を受け入れる
自分の力ではどうすることも出来なかった不幸や災難に対して、自他共に信心深いと認めるヨブは、善因善果の原因結果の法則から考えても自分の何がいけないのか分からなく苦悩したことでしょう。
「お前の立場では分からない事がある」と言われればそれまでですが、確かにその通りであり、受け入れるしかないところもあります。
ヨブの誤りは「理解できなければ信じられない」というところであり、それが信仰の世界から外れていることに気づかせるための試しであったのでしょう。
運命とは何かに対して、経営の神様と呼ばれたパナソニック創業者の松下幸之助は「自分の人生を振り返って考えてみると、90%が運命であった」と言われていました。
しかし、90%が運命だとしても、「肝心なところは人間に任されていて、それが残りの10%ではないか」と考えておられたようです。
運命には自分の自由に出来ないところが多くあり、なぜそうなっているのか分からないところがある、しかし、それを与えられた条件として受け入れ、自分のできる範囲内で努力する。
さらに松下氏は努力したから必ず成功するとも限らない、しかし、成功するには必ず努力が必要である。
そして、このことを理解しておれば、「自分に与えられた人生を謙虚に受け入れ、かつ力強く歩いて行くことができるよ」と言われていました。
ヨブの物語、松下氏の言葉から、どうやら運命に対しては謙虚に受け入れる必要があるようです。
謙虚に受け入れることで初めて、変えられる運命に取り組む事が出来るようになるのでしょう。
「運命とは何か」の答えは運命を受け入れることでようやく分かるものであるようです。そして、運命とはどうやら人生観を高めていくためにあると言ってよいかもしれません。
まとめ
・運命はあるのか。
・変えられる運命、変えられない運命とは
・そして運命とはなにか
これらの疑問を解くヒントを紹介してきました。
運命とは何かを考えることは、人生とはどういうものかという答えに繋がっています。
様々な解釈があるとしても、その中で個人としてどう向き合って行くのかは、昔から変わらないようです。
中国の故事に「人間万事塞翁が馬」という言葉があります。
人生において何が幸不幸か分からないところがある。
幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえです。
運命の良し悪しは長い目でみなければ分からない。ならば、運命に翻弄されることなく淡々と「こうありたい」という自分に向かって人生を歩んでいくことが大切になってくるでしょう。
この記事を読んで、「力強く人生を歩んで行こう」と思えたならば幸いです。