生きるのが辛いときに持っていたいスピリチュアル的な視点
私たちの人生には様々な辛い出来事がやってきます。
辛い出来事は早く解決したいものであり、なぜこのような辛い思いをしなければならないのかと思うこともあるのではないでしょうか。
その答えには様々なものがあるとしても、スピリチュアル的な視点がなければ答えられない問題であるのは確かです。
また、スピリチュアル的な視点を持っていれば、問題に対して積極的に取り組むこともできるようになります。
この記事では、生きるのが辛いときに持っていたいスピリチュアル的な視点を3点挙げてみました。
普段から意識していれば、辛くなること自体が減ってくるはずです。
目次
生きるのが辛くなる時
生きるのが辛くなる原因は人それぞれ異なりますが、一般的には、
精神的ストレス
経済的問題
健康問題
理解し合えない辛さ
孤独感
大切なものを失った喪失感
生きる意味が分からない辛さ
など様々なものがあり、大なり小なり誰もが経験されているはずです。
私たちは、これらの問題を何も経験することなく人生を過ごしたいと願う反面、何も問題のない人生は何か物足らないと感じているとこがあるのではないでしょうか。
それは、私たちがスピリチュアル的な存在であり、機械のように何もトラブルがなければよいわけではないからです。
スピリチュアル的な視点から見た生きるのが辛いとき
生きるのが辛くなる出来事には、様々なものがあるとしても、スピリチュアル的な視点で見ると、辛い出来事は、心を磨くための砥石としての役割を担っているといえます。
今の自分を成長させるために必要な出来事であるので、初めはどうしたらよいか分からなくて当然です。
また、その時々においては間違った判断をしてしまい、さらに苦しくなってしまうこともあるでしょう。
しかし、どのような問題であっても、より良い人生にするために模索しているのは間違いありません。
私たちを成長させるための具体的な問題は人それぞれであっても、スピリチュアル的な視点から見た生きるのが辛くなる原因としては、
- ネガティブなエネルギーの影響
- 自分の人生を生きていない
- 謙虚さを学ぶ時
などがあります。
ネガティブなエネルギーの影響
ポジティブに生きるかネガティブに生きていくかは、各人の自由に任されていて、その責任も各人にあるとしても、私たちは1人で生きているわけではないので、他の人や社会からの影響を受けないわけにはいきません。
特に、身近な人からのネガティブなエネルギーは無視することができないので、上手く対応できなければ辛い状況になりやすいものです。
また、自己評価が低かったり、感受性が高すぎたりしても、ネガティブなエネルギーを受けやすくなります。
生きるのが辛く苦しいと感じているなら、自分の意識がネガティブな意識の世界と繋がっていると思ってよいでしょう。
自分の人生を生きていない
私たちには魂としての個性があり、花の種が違えば違う花が咲くように、魂の個性が違えば好ましいと感じる環境も変わってきます。
私たちは、他の人と比べて不足しているところに劣等感を感じやすいものですが、劣等感によって自分の個性を否定したり、人と比べて優劣を競っていると個性は活かせなくなってしまうのです。
自分の個性を愛することなく否定した人生を歩んでいれば、人の顔色を伺う生き方になり、生きるのが苦しくなるのも仕方ありません。
謙虚さを学ぶ時
人は物事が上手くいくと、すぐに調子に乗ってしまうところがあります。
人の意見に耳を傾けなくなり、これが転落の原因にもなっているのです。
他の人の助けやアドバイスを受け入れるにも謙虚さが必要であり、自分の成功を陰で支えてくれている働きに気づくにも、謙虚さがどうしても必要になります。
このようなところから、物事が上手くいかない、または生きるのが辛い時というのは、自分の非力さを味わい謙虚さを学ぶ時でもあるのです。
生きるのが辛い時に持っていたいスピリチュアル的な視点
スピリチュアル的な観点からいえば、辛い出来事は解決することだけが目的ではなく、解決に至る道のりで何を学び、いかに人生観を深めるかというところが大切になります。
そうした中で辛さを乗り越えるには、自分を支えてくれる何らかの働きかけを感じられるかどうかが重要になってきます。
そのために忘れてはならない視点として、
- 大いなる力の存在を信じる
- 進歩だけでなく調和も大切にする
- ネガティブから離れることを意識する
の3点が大切になります。
大いなる力の存在を信じる
辛い出来事は、心を磨くための砥石としての役割を担っていて、誰もが辛い出来事を経験するならば、この世界には、全ての人を成長させようとする力が働きかけていることになります。
それは、私たちが辛い出来事を自ら求めているわけではないところからも明らかです。
原因と結果の法則、因果応報などは、自分の行いを修正していくためのものではありますが、これらの法則は、様々な経験を通して成長させていくためにあるといってよいでしょう。
私たちが、全てのものを成長させていくという世界のなかで生かされているなら、時間がかかってても、途中にどのような苦難があっても、間違いなく問題を乗り越え成長していけるようになっていると考えてよいのではないでしょうか。
全ての人に、このような力が働きかけていると信じることは、自分の人生を愛する根拠にもなり、ポジティブな生き方につながっていきます。
また、自分の力を超えた大いなる力の存在を信じるならば、謙虚にならざるをえなくなるでしょう。
進歩だけでなく調和も大切にする
私たちが成長していく時に問題になるのは、自分の成長が他の人を害していないかというところです。
他の人との関係が上手く調整できない、または調整する気のないとこから、不調和というものが生まれてきます。
身近なところでは、立場を利用して自分の都合を押し付けるのもそうですし、逆に自ら成長する気もなく、人に頼りすぎるのも調和を無視した行為になるでしょう。
自分さえよければいいと思いながら生活していれば、いざ困った時に助けを求めることは難しくなります。
また、自分を応援してくれる人の存在を感じられなければ、辛さを乗り越える力も湧いてこないでしょう。
大いなる力を神様と呼ぶとするなら、生きるのが辛い時に自分を支える力を得るには、普段から神様が味方してくれるような生き方をしているかどうかにかかっています。
全ての人を愛し成長させようとしている存在が神であるなら、他の人を自分のことのように愛そうと努めている人を神様が放っておくはずがありません。
辛くてもなんとかなると思える時というのは、自覚していなくても、自分を支え応援してくれる何らかの働きかけを感じている時です。
大いなる力や多くの人の支えを感じられることが辛さを乗り越える力となり、具体的な問題解決の力にもなってくる。
そのために進歩と調和を大切にするという視点を持ち、他の人との間に不調和をつくらないように努めることが大切になります。
ネガティブな世界から離れる
自分の意識がネガティブな世界と繋がっていて苦しいのならば、一刻も早くネガティブな世界から離れることを考える必要があります。
しかし、無理にポジティブに思おうとすればするほどに苦しくなってしまうのは、誰もが経験しているのではないでしょうか。
ネガティブな世界から離れるには、ポジティブになろうとするのではなく、まずは心を落ち着かせることが第一であり、心が穏やかな状態になれば、ポジティブな世界と繋がるようになってきます。
普段から意識して穏やかな日々を過ごそうと決意する。
焦っているなと感じたら、呼吸を整え、あえてゆっくり行動してみる。
怒りに対してもゆっくり呼吸することに意識を向けているうちに怒りは過ぎ去っていきます。
怒り以外のものであっても、感情は川の流れに乗って流れていく木の葉のようなものであり、眺めているうちに流れ去っていくものです。
囚われて執着しないことが大切になります。
穏やかな状態が増えるほどに、生きるのが辛いという思いも次第に減ってくるはずです。
まとめ
生きるのが辛く苦しい時というのは、プールで溺れてはいけないと、もがいて苦しんでいるようなものなのかもしれません。
水中でもがいているのをネガティブな世界とするなら、心を落ち着かせ、仰向けになって空に目を向ければ、自然に水面に浮かび上がってきてネガティブな世界から離れることができます。
それは、そのような法則のもとで生きているからです。
私たちが成長していくために必要な出来事がやってくるのも、法則のもとにあります。
それは辛い出来事であるかもしれませんが、決して私たちを罰しようとするものではなく、成長に伴う喜びを味わってもらうために用意されていると思われるのです。
そう思えるようになれば、勇気も湧いてきます。
そのためにも、普段から心穏やかに過ごすように心がけることが大切になるのです。
- 大いなる力の存在を信じる
- 進歩だけでなく調和も大切にする
- ネガティブから離れることを意識する
この3点を生きるのが辛い時に持ちたいスピリチュアル的な視点としてあげてみました。
参考になるところがあれば幸いです。
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