見返りを求めない愛を与える人の特徴とその喜びとは
見返りを求めない無償の愛について考えたことはあるでしょうか?
見返りを求める愛は本当の愛ではないといわれていますが、見返りを求めない人生では満足できないのではないかという疑問もあると思います。
この記事では、無償の愛とは何か、見返りを求めない人の特徴とその喜びについてまとめてみました。
無償の愛のあり方のヒントになればと思っています。
目次
見返りを求めない無償の愛とは
見返りを求めない無償の愛とはどういうものかといえば、身近なところでは、母親の子どもに対する愛としてよく見受けられます。
特に生まれたばかりの子どもであれば、見返りなど期待できるわけもなく、面倒がかかるとしても、その子の存在自体が愛おしく感じられるから、見返りなど求める気にもならないのでしょう。
可愛い我が子に対する愛が無償の愛として表れやすいとしても、子どもに対する愛がすべて無償の愛であるわけではありません。
見返りを求めずに与えられる範囲は限定されているはずです。
その上で無償の愛とは何かを考えるには、
- アガペーという愛
- 永遠に進歩していける道のりがある
という2点を押さえておく必要があります。
アガペーという愛
私たち人間の無償の愛は、とても限定されたものです。
愛している相手に対しても、時には見返りを求めたくなることはあるでしょう。
どんな時でも、善人であろうが悪人であろうが変わりなく太陽の光の恵みを神が与えてくださるように、与え切りの無償の愛は神様の人間に対する愛であり、これをキリスト教ではアガペーと呼んでいます。
イエスは、わたしの教えに従う者は、自分が愛せる人だけでなく、みずからの「敵」さえも愛さねばならないとしてアガペーの愛を実践するように弟子たちに語っていたようです。
イエスを信じていなければ関係ないといえるのかもしれませんが、私たちの愛も見返りを求めなくなるほどに純粋なものになっていくのは間違いありません。
永遠に進歩していける道のりがある
アガペーという愛は私たちの愛が発展していく先にある理想の姿です。
好きな人に対しては見返りを求めずに愛せるけれども、嫌いな人に対してはどうですか?と問われたら無償の愛は、好きな人に対してだけのものになっているのではないでしょうか。
機嫌の良し悪しに関わらず、身近な人を愛することで愛は深まっていき、嫌いな人であっても、出来ることがあるなら見返りを期待せずに与えることで、愛の幅が広がっていくようになります。
愛の深さと幅が広がっていくことで私たちの愛は成長していき、愛を発展させていくことで私たちは永遠に進歩していけるようになっているのです。
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見返りを求めない人の特徴
神様のようにすべての人を愛することはできなくても、私たちの身近にも見返りを求めずに愛を与えてくれる人はいます。
特徴としては、
- 当たり前の生活に感謝している
- 他の人を否定しない
- 悲しみや苦しみの経験を乗り越えてきた
などがあげられます。
当たり前の生活に感謝している
見返りを求めない人は心が満たされています。
心が満たされているのは、多くの人のおかげで今の幸せが成り立っていることを知っているからです。
すでに多くのものを与えられていると感じているので、自然にお返しをしたくなり、見返りを求めることなく愛せるのでしょう。
感謝の気持ちが報恩となり、見返りを求めない愛となっているのです。
他の人を否定しない
他の人を尊重している人は、人を否定しないでいようと心がけているところがあります。
それは、否定するところにあるのは傲慢さであり、傲慢であれば自分の都合でしか人を愛せないことを知っているからです。
自分の都合でしか人を愛せなければ、いくら大切な人であっても、自分の都合が悪ければ愛せなくなってしまいます。
見返りを求めることなく純粋に愛したいという思いがあるから、人を否定しないでいようと思えるのです。
悲しみや苦しみの経験を乗り越えてきた
見返りを求めずに愛を与えられる人は、他の人の気持ちや立場に対して思いやりを持ち、人の失敗や欠点を受け入れることができます。
このような思いやりは、悲しみや苦しみを乗り越えてきた経験から養われていくものです。
また、悲しみのなかで多くの人の優しさに支えられた経験もあり、他人事だと思えずに見返りを求めることなく愛せるようになるのでしょう。
恋愛における無償の愛とは
恋愛関係における無償の愛とはどういうものでしょう。
お互いが対等な立場であるなら、無償の愛は一方的なものではないはずですが、良好な恋愛関係において見返りを求める必要がないのは、お互いに自分の行動の結果として相手がどのような反応をするのかが,おおよそ分かるという信頼関係があるからだと思われるのです。
見返りを求めているわけではなくても、見返りがあれば嬉しいし、何の反応もなければ淋しいものなので、見返りを期待しているところはあるはずですが、だからこそパートナーでいられるところもあると思えるのです。
無償の愛を求める気持ちにもメリットがある
決して見返りが欲しくて行うわけではないとしても、感謝する気がない、または、無反応であればお互いを理解することが難しくなり、パートナーである意味が分からなくなってしまいます。
見返りを求めすぎるのは執着になりますが、「〜してもらえると嬉しい」という思いまで見返りを求める気持ちとして否定する必要はないでしょう。
してもらえると嬉しいところには、自分の価値観やニーズが表れているので、お互いを理解し、より深いつながりがもてるというメリットもあるのです。
見返りがなくても批判しない
パートナーとの関係が良好であれば、お互いに無償の愛を与えることは難しくありません。
しかし、無償の愛が一方的なものであるなら、そこにある関係は良好なものではなく、支配的なものになってしまいます。
互いに感謝できているかがとても大切であり、感謝できていれば、見返りがなくて淋しい気持ちになるとしても、相手を批判する気にはならないはずです。
見返りがなくて相手を批判してしまうのならば、いつしかしてもらうのが当たり前になっているか、相手に対して何らかの不満を持っていると考えられるので、振り返って考えてみるのがよいでしょう。
無償の愛を与えることの喜びとは
愛が人と人との間に生まれるものであるなら、誰かが愛を与えなければ愛は生まれません。
愛が欲しくてたまらない人は愛欠乏症であり、幸せを感じるのが難しいように、見返りを求めて与えるところにも幸福感はないでしょう。
しかし、見返りを求めずに愛を与えられる人は、愛を生み出している人であり、愛と共にある幸福感を感じられるのです。
人に喜ばれることをしたい。
人のお役に立ちたい。
と思うのも、愛を与えるところに喜びが伴っているからです。
見返りを求めることなく与える愛は純粋なものであるから、受け取る方も与えた方も素直に喜べるので、見返りを求める気持ちも薄らいでいくのでしょう。
無償の愛を目指して
私たちに「〜してもらえると嬉しい」という気持ちがある以上、見返りを全く求めずに愛を与えるのは難しいものです。
しかし、見返りがなくて淋しいと感じた時に、その思いを否定しない方がよいでしょう。
否定しても見返りを求める気持ちがなくなるわけではなく、否定するほどに、見返りを求める気持ちは強くなってしまうからです。
自分の気持ちを否定せずに受け入れることで、求める気持ちも薄れ、相手の反応も気にならなくなってきます。
それとともに、見返りを求めずに無償の愛を与えられる機会も増え、愛も深まっていくでしょう。
まとめ
見返りを求めることなく与えることで愛は生み出され、与えた愛に応じた愛が、自分のもとに引き寄せられるように戻ってくる。
与えた愛が純粋であるほどに幸福感も強まっていくので、与えるほどに見返りを求める気持ちも薄らいきます。
無償の愛とは、私たちが目指す愛の形です。
人間である以上、見返りを完全に求めずに生きていくことはできなくても、出来る限り不平不満を言わず、相手を否定しないように努めていけばよいのではないかと思います。
参考になれば幸いです。
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