無償の愛の意味と特徴を理解し愛ある人となるスピリチュアル視点とは

愛とは、人と人との関わりのなかで生まれ、人と人を結び付ける力です。

お互いを結び付ける愛に条件がないほどに結び付け合う力も強くなります。

この記事では、無条件の愛、無償の愛とはどういうものなのかをまとめてみました。

それを知ることで、大切な人との結びつきがさらに強まるでしょう。

無償の愛のスピリチュアル的視点

愛とはとてもスピリチュアル的なものです。

損得だけで考えられるものではなく、時には自分を犠牲にしてまで行う価値のあるものでもあります。

また、愛とは教えられて初めて分かるものではなく、生まれながらに誰もが持っているものです。

ギブアンドテイクの中にも愛の想いはあるでしょうが、多くの人は見返りを求めて行う行為を「愛」とは呼ばずに、無償の愛こそが本当の愛であると思っているのではないでしょうか。

日常生活のなかでは損得で考えてしまうケースが多く、無償の愛から遠ざかってしまいがちになるので、時折、無償の愛とは何かを考えてみることが大切になってきます。

無償の愛とは

無償の愛とは、見返りを求めていない愛であり、例えとしては、神は、善なる者にも、悪なる者にも、変わることなく太陽の光の恵を与えて下さる存在であるという、聖書のなかのイエスが語った言葉が分かりやすいのではないでしょうか。

この神様の無償の愛のように、イエスは、神の子であるならば、知人、友人、家族などを愛するだけでなく、みずからの「敵」さえも愛しなさいと説かれていたようです。

こうしてみると、無償の愛の究極の姿は神様の愛であり、神の子であるならば、神様の愛である無償の愛を目指しなさいという努力目標であるということがわかります。

無償の愛を目指す意味

私たち人間が、見返りを求めずに無償の愛を与えられる場合として身近なところでは、親子、特に母親の子供に対する愛のように、自分が愛おしく感じている存在に対しては見返りを求めることなく愛することができます。

また、恋人や夫婦間でも大好きな相手に対しては、無償の愛を与えることはできるでしょう。

しかし、神様のように善なる者にも、悪なる者にも、変わりなく愛を与えることは難しく、とても限定的なものになっているはずです。

可愛い子供であっても、常に見返りを求めずに愛せるものではなく、恋人や夫婦であっても、関心がなくなれば愛する意味さえ分からなくなってしまうこともあるでしょう。

同じ相手に対しても自分の気分によって愛せたり愛せなくなってしまうならば、嫌いな相手を愛することなど、なおさら難しくなります。

嫌いな人を愛する必要などなく、好きな人だけを愛していればいいと思っているかもしれませんが、好きな人を愛し続けるには、好きな人の嫌いなところも愛せるようになる必要があり、それは、嫌いな人を愛することと同じなのです。

ここに、無償の愛を目指す意味があり、気分に左右されない愛にするためには、感情をコントロールしていく必要があるのです。

無償の愛を支える役割意識

役割意識というと、愛は役割でするものではないと思われるかもしれませんが、役割意識のない愛は本能的な愛であり、動物的なものになってしまうでしょう。

世間で使われている言葉で、「親としての自覚が足りない」と言われることがありますが、全ての人は、本能としての愛は元々もっていて、それを自らの意思で気分に左右されずにコントロールするための機能として役割意識があるのです。

動物の世界でも、ボスを中心にした群れを作っていますが、動物の場合は秩序を保つための役割意識であるのに対して、人間の役割意識は秩序を保つだけでなく、愛を育ていくためのものでもあるでしょう。

優しくするだけが無償の愛ではない

役割意識というと、会社での役職を思い浮かべるのではないかと思います。

役職があることで役割が明確になり、組織の秩序が保たれるところがありますが、役割意識のなかにも愛があるのです。

これは、上司が部下を育てる愛であり、役割として時には言いたくないことも言わなければなりません。

役割上のことであるとして、何らかの結果を得るために言っていることが多いとしても、本人にとって言っておかねばならないと自ら悪役になって言うところには自己犠牲的な無償の愛もあるのではないかと思われます。

これは、組織の役職だけでなく、親子の関係でも言えることです。

無償の愛は与えきりの愛であるとしても、単に優しいだけではなく、勇気をもって対応しなければならない時もあるでしょう。

無償の愛の与えきりというのは、見返りを求める気持ちがないということであり、優しければよいというものではありません。

役割意識のなかには、役割に徹するというところがあり、感情に流されては発揮できないところがあるのです。

「あなたのためを思って」という言葉は都合よく使われるところもあり、見返りを求めている人もいるでしょうが、誤解されようが構わないとしてあえて役割に撤してくれる人にも愛があり、その言葉を受け入れるのも、また愛であるでしょう。

無償の愛にも見返りはある?

無償の愛は、動機において見返りを求めていないとしても、与えたという作用に対しては同じものが反作用として返ってくるので、結果としては見返りを受け取ることになります。

神様が見返りを求めていないとしても、多くの人に崇められているという結果を受け取っているから神様でいられるというところはあるのではないでしょうか。

また、人間心においては、見返りを求める気持ちが全くないと言いきるのは難しいでしょうが、愛するという行為を通して愛深き者になれ、幸福感が高まるという見返りを得ています。

ですから、見返りを求めないというのは、結果として見返りが返ってきているとしても、それを求めての行動ではないというところがポイントになるでしょう。

愛のある人の特徴

「好きな人はどんな人ですか?」と尋ねると、多くの人は優しい人と答えるように、愛とは優しさだけではないとしても、人は愛情を感じられる人を好むものです。

愛のある人の特徴としては、

  • 謙虚である
  • 正直である
  • 感情のコントロールができる
  • 役割・立場をわきまえている
  • 自分が好き

などがあげられます。

謙虚である

愛のある人の特徴として謙虚さがあります。

この謙虚さとは、人間は一人では生きていけるものではなく、多くの人の働きがあって社会が成り立ち、生きていられるということ。

さらに、私たちは人智を超えた何らかの力によって生かされているのも確かであり、すでに多くのものを与えられていることに気づくところから感謝が生まれ、お返しをしたくなってくるのです。

また、謙虚であるから、人の意見に耳を傾けることができ、同じ人間として理解しようと思うことも可能になります。

謙虚さなく、傲慢であれば、人を見下すようになり、愛することなどできないでしょう。

正直である

愛のある人の特徴の2番目は正直であることです。

正直さとは、人に対してはもちろんのこと、自分に対しても正直である必要があります。

正直さとは、嘘をつかない、誤魔化さないということです。

なぜ正直さが大切であるかといえば、嘘をつき誤魔化して生きていると、コソコソした生き方になり、堂々としていられなくなります。

自分を誤魔化して生きている人の愛は、愛なのかどうか自分でも分からなくなっているはずです。

正直であるから、自分の心に素直に向き合い、純粋な想いで愛することができるのです。

感情のコントロールができる

愛ある人は、感情のコントロールができます。

愛とは時に、とても忍耐力を要求されるものです。

子育てや部下を育てるにも忍耐が必要であり、相手に合わせなければ愛することなどできません。

また、見返りを求める気持ちなどなかったとしても、誤解されれば腹が立つものです。

しかし、こうした時に感情をコントロールしようと努めることで忍耐力が養われ、愛せる能力が高まっていくのは間違いありません。

たとえ相手が悪いとしても、感情をコントロールして接するのも愛なのです。

役割・立場をわきまえている

愛のある人は役割・立場をわきまえています。

これは、感情をコントロールするための力になるものです。

親という役割、立場をわきまえているから、理想を描き、よい親になろうと努められるのです。

相撲の世界では、横綱には品格が必要であるといわれていますが、横綱に昇進すると、横綱の品格が自然に身についてきます。

横綱としての自覚が品格をつくっていくのでしょう。

愛することも愛する必要がある立場に立てば、自然に身についてくるところもありますが、それも、立場をわきまえたうえでのことであり、そうでなければ、愛することなどできるはずもありません。

自分が好き

自分が好きというのも愛のある人の特徴のひとつです。

自分を好きになるのは、自分の個性を愛することから始まります。

自分の個性を愛せるから、他の人の個性も尊重し愛せるようになるのです。

自分を愛せない人の愛は、相手に依存しやすくなるので、無償の愛ではなく、見返りを求める愛になりやすいでしょう。

愛が見返りをもとめない理由

愛が見返りを求めず無償である理由はなにかというと、愛が見返りを求めるものであれば、自由がなくなるからであろうと考えられます。

愛をもらったら必ず返さなければならないなら、そこに支配関係が生まれ、自由意思が発揮できなくなり、とても不自由な世界になってしまうでしょう。

誰かに愛されたとしても、その愛をどう受け入れるかは本人次第であり、受け入れないとしてもどのように対応するかによって人格がつくられていきます。

愛が自由であるからこそ、愛されることの喜びも大きくなり、純粋な愛が生まれる余地もあるのではないでしょうか。

また、自由であるからこそ、愛した結果の責任も受け止めようと思えるのです。

まとめ

無償の愛とはどういうものなのか。

  • 無償の愛を目指す意味
  • 愛のある人の特徴
  • 愛が見返りを求めない理由

等の話をしてきました。

愛が人と人との間に生まれるものならば、愛してもらうのを待っていては、愛は生まれません。

ここに、愛を与えていく必要性があり、愛は与えるものであるといわれているのだと思います。

大切な人との結びつきがさらに強まりますよう祈っています。

関連記事