陰徳を積む効果や意味をスピリチュアル的視点で解説
陰徳を積むことは、自己成長には欠かせないものです。
しかし、いまひとつ陰徳を積むとはどういうことなのか分からないところがあるのではないでしょうか。
この記事では、陰徳を積む効果や意味をスピリチュアル的な視点で解説してみました。
それによって、陰徳とはなにか?
また、なぜ陰徳を積む必要があるのかも理解できるようになってくると思います。
目次
陰徳とは何か
徳とは、その人に身についている品性のことを意味しています。
それは、善なる行為を積み重ねていくことで培われていくものですが、徳を積み上げていく行為には、陰徳と陽徳というものがあると言われています。
陰徳とは文字通り陰で行う徳になる行為、善行であり、陽徳とは、陽のあたるところ、人に気づかれるところで行われている善行です。
陽徳は人目につくところから、他の人の評価を得るための善行になりやすいところがありますが、陰徳は誰にも知られず、人の評価を得ようとしない善行であるので、陽徳よりも徳を積みやすいところがあると考えられています。
しかし、徳というものが善なる行為を積み重ねていくことで身についていく品性であるなら、人に知られようが知られまいが、無私なる気持ちでどれだけの善行を成したかによって、徳高き人になっていくのは間違いありません。
陰徳とは陽徳を陰で支えているもの
陽徳が人目につくところにあり、陰徳が人目につかないものであるというのは、陽徳と陰徳を対比した見方になりますが、別の見方をすれば、陰徳は陽徳を陰で支えているものでもあります。
それは、個人でも組織であっても、善行を陰で支えてくれる人の存在があってこその陽徳であり、陰でしている善行を無駄にしない働きがあってこその陰徳でもあるからです。
例えば、個人で多額の寄付を誰にも知られずに行うのは、陰徳を積むことになるとしても、寄付をした先が社会に害悪を与える活動をしていることを知らずに寄付をしたらどうなるでしょう。
寄付をする行為が社会に害悪を撒き散らす手助けをする結果になってしまいます。
ですから、寄付をする先が社会のお役に立つような活動をしているのかどうかが大切になりますが、陽徳を重ねている組織があって初めて陰徳が活きてくるところがあり、これは、私たちが互いに依存し合って生きているからでもあるのです。
なぜ陰徳を積む必要があるのか
そもそも、なぜ徳を積む必要があるのか?という疑問はあるでしょう。また、徳を積もうなどとは考えたこともない人もいるはずです。
徳高き人になれば、人から信頼され、何かあれば喜んで手助けしてもらえるようになり、人生の流れがよくなってくるところがあるとしても、陰徳を積むことが徳高き人になるためにする行為であるならば、その善行は、陰徳ではないように思えてしまうところもあります。
では、なぜ徳を積む必要があるかといえば、それは、もっと根源的なところに理由があり、私たちを生かしている人知を超えた存在に対する感謝がもとにあると考えられるのです。
感謝がもとにあり、ありがたいからお返しをするというところには、見返りを求める気持ちなど起こりません。
だから、感謝報恩の思いからしている行動が、陰徳を積む行為になっていると考えられるのです。
私たちが人知を超えた存在によって生かされている存在であり、すべての生命が根底において繋がっているのなら、個人の幸せは、全体の幸せのなかでのみ可能になります。
そうであるなら、自分を愛するように身近な人も愛したくなるのが本来の姿であるはずです。
イエス・キリストが、「主なる神を愛し、隣人を愛しなさい」と説いたのも、人知を超えた存在がすべての人を生かしているのなら、確かにその通りだと思えるのではないでしょうか。
陰徳がもたらすスピリチュアル的な恩恵
パナソニック創業者の松下幸之助さんは、「人間として一番尊いものは徳である」と言われていたようですが、それは、徳を身につけることは、生涯をかけて高みを目指す人格向上への道でもあるからでしょう。
原因と結果の法則のもとで積み重ねてきた習慣は、心の傾向性となり、必ずその人の人格として表面に表れてくるようになります。
そして、一旦出来上がった人格は、今世だけでなく、来世になっても引き継がれていくのです。
「天の蔵に徳を積む」という言葉がありますが、徳は天の蔵に貯金され貯まっていくものであり、この貯金が運の流れをスムーズにしていると考えられています。
逆に、人の道に反するような行為を積み重ねていれば、前世で積み上げてきた徳があっても晩年には使い果たしてしまい、人生の流れも滞ってくるようになってしまうでしょう。
このように、徳ある傾向性が出来上がってくれば、引き寄せてくるものも、それ相応のものになってくるのです。
日常生活でできる陰徳を積む方法
日常生活の中でできる陰徳を積む方法には、様々なものがありますが、基本的には、縁あって出会った人をどうすれば幸せにできるかを考えることで、自然に徳積みできるようになっています。
それは、何か特別な時にするのではなく、毎日の生活のなかのあらゆる機会において実践することができるものです。
大切なポイントは
- 仕事を通して社会に貢献する
- 陰日向なく正直に生きる
というところです。
仕事を通して社会に貢献する
一日の大半の時間を費やしている仕事の時間は、個人が社会に影響を与えられる場であるので、職業を通して社会に貢献することは徳積みの基本になります。
会社が社会に役立つ働きをしているならば、その会社を陰で支えている社員の働きは、たとえ報酬という見返りを得ているとしても、徳を積む機会であるとともに、人格を向上させる絶好の機会であるからです。
偉人といわれる人たちも、職業において功績をあげた人たちであり、職業を通しての活動であるから、大きな影響力を発揮できたと考えてよいでしょう。
まずは、自分の持ち場において最善を尽くすように努める。
これには限界はありませんが、簡単なところでは笑顔で優しく接したり、仲間を応援してあげることなどは、すぐにでも始められます。
小さな積み重ねを習慣にしてしていけば、徳積みも次第に大きなものになっていくはずです。
陰日向なく正直に生きる
陰日向なく正直生きるとは、人の見ている所と見ていない所とで言動や行動が変わったりしないことです。
人が見ていなければ、怠けたくなることは誰にでもあるとしても、そこに人格が表れることは間違いなく、陰日向なく正直に生きていけるから、陰徳を積むことも可能になるのです。
また、陰日向なく正直に生きていくには、感謝の気持ちがなければできるものではないことを理解しておく必要もあるでしょう。
陰徳を積むのは喜びである
私たちは、愛する人のためならば見返りを求めずに愛を与えることができます。
なぜ見返りを求める必要がないかといえば、愛すること自体が喜びであるからです。
人を愛する必要がある根拠は、すべての生命がひとつつながっているからですが、このことを深く理解できるほどに人を愛せるようになってきます。
それは、愛とは、結びつけ合う力であるからです。
陰徳を積む行為も同じであり、誰かのためにお役に立とうとするのも結びつきを持とうとする愛の行為であるがゆえに、陰徳を積む行為自体にも喜びが伴っているのです。
まとめ
陰徳を積む効果や意味をスピリチュアル的な視点で解説してみました。
なぜ陰徳を積む必要があるのか理解できれば、陰徳を積む人生を歩んでいこうと思えるようになってきます。
陰徳を積む行為には喜びが伴うとしても、初めのうちは見返りを求めての行為になるかもしれませんが、気にすることはありません。
善行は続けていくうちに楽しいものに変わり、いつしか見返りを求める気持ちも薄れていくはずです。
また、陰徳を積み重ねていくほどに幸福感が高まっていくのは間違いありません。
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