「親に感謝できない人の特徴」その原因と対処方法・毒親との向き合い方も解説
親に感謝できないことに対して、自分を責めてしまう人もいれば、なんで感謝しなければならないのかと思っている人もいるでしょう。
一般的には大人になるほどに親に感謝できるようになってきます。
それは、年齢を重ね経験しなければ分からないことも多いからです。
感謝できなくて葛藤しているならば、何かを学ぶ時期がきているということだと思います。
参考になるところもあると思いますので、読んでみてください。
目次
親に感謝できない人の特徴
親に感謝できない人の特徴としては、
親はこうあるべき、こうあってほしいという思いが強いところがあります。
生まれてからの何年間は、誰かに面倒を見てもらわなければ生きていないので、面倒を見てくれる親は望みを何でも叶えてくれる存在であり、未熟な自分からすれば神様のような存在です。
小さい頃に感じていた完璧だと思っていた親も、物心つくころからどうやら完璧ではなく、自分の都合で誤魔化したりすることがあることに気づき、ショックを受けるようになります。
また、友達の親と比べるようになると、明らかな違いに戸惑いを感じるようにもなるでしょう。
小さい頃は純粋であるがゆえに、親に理想像を求めすぎてしまうところはあるでしょうが、自分の理想像を破壊されたものとしては、裏切られたような気持ちになるかもしれません。
大人になっていくうちに、理想と現実のギャップのなかで生きていく術を身につけていくようになり、いつしか親の感謝の仕方を自分なりに解釈して身につけていくのです。
自分なりの解釈において、与えられているところに焦点をあてていれば感謝もできるでしょうが、不足が目立つ場合には感謝できなくなってしまいます。
親に感謝できない原因
なぜ親に感謝できないのかというと、感謝できるほどには恩を感じていないというしかありません。
感謝というものは自然に湧いてくるものであるといわれることもあります。
もちろん、感謝は強制されてするものではありませんが、自然に湧いてくるのを待っていては、自分がありがたいと思えることでしか感謝できなくなります。
前提として、普段から感謝することを意識しているかどうかにかかっています。
なぜなら感謝は意識していなければ、あたりまえの日常生活のなかでは意識されずに過ぎ去ってしまうものだからです。
同じ親に育てられた兄弟であっても、性格によりものの捉え方も違っていて、親への感謝の気持ちも大きく違ってくることからも、恩を感じないのは親だけの問題ではないことは明らかです。
結局のところ「どういうところで恩を感じるか」という個人の資質の問題であるといえます。
何かをしてもらったから嬉しいというのは分かりやすいところですが、身の回りの世話をしてもらっていても、それがあたりまえになっていれば恩を感じることもなくなってしまうでしょう。
また、親から離れて自立していても、自分のことを見守ってくれている存在がいると思うだけで「ありがたく感じる」人もいるように、個人の資質で大きく変わってきてます。
毒親に感謝できない
「毒親」とは、子供を支配し、子供に害悪を及ぼす親のことであり、暴言や暴力が伴うケースも多く、子供の心に大きな傷をもたらしてしまいます。
虐待行為ではなくても、子供の気持ちや考えを理解しようとしなければ、子供は自分は認められない存在だと思い込んでしまうこともあるので、こうした親も毒親といえるかもしれません。
親に感謝できないのは、「感謝できるほどには恩を感じていない」わけですが、毒親に対しては、恩を感じる以上に反発を感じてしまうのも無理はありません。
大人になるにつれて、親に感謝することの大切さを耳にするようになり、親には感謝すべきであるという言葉に苦しめられてしまうこともあるでしょう。
毒親に対しては、無理に感謝する必要はありませんが、恨み心や憎しみを持ったまま幸せになるのはとても難しいものなので、恨んだり憎んだりする気持ちは何とかして手放したいものです。
親に感謝できないスピリチュアルな理由
「親に感謝しろ」とか「親には感謝すべき」と言われるのは、感謝を強要されているようで、腹立たしく感じるかもしれません。
親が毒親であれば感謝などできる訳がないというのも確かです。
毒親の特徴は自分の問題を人のせいにするところがあります。
特に子供に対しては支配しやすいので、自分の気持ちを押し付けやすくなるでしょう。
そうした親に育てられた子供はその影響をうけ、感謝できない正当な理由があるとしても、親の態度の悪さを理由にして、自分の問題を親のせいにしてしまうところが出てくるのも確かです。
毒親に苦しめられているのに、なんで感謝しなければならないと葛藤しているならば、おそらく毒親と思われる親自身も心の中では苦しんでいるのではないでしょうか。
現実には、お互いが合わせ鏡として学んでいるところがあり、お互いの成長のための学びとしての問題を解いている最中にあると考えられるのです。
これがカルマの刈り取りというものであり、親に感謝できないスピリチュアルな理由なのです。
親に感謝できないカルマとは
カルマとは「思いと行い」の結果つくりあげてきた心の傾向性であり、偏った傾向性を修正していくことで、カルマの刈り取りとなり自らが成長していく仕組みとなっているのです。
例えば、前世毒親に苦しめられ、親を恨んで人生を終えたとすると、親子関係のなかで恨みをもつというカルマがつくられます。
このカルマを解消させるためには、相手の立場を経験するのが一番の学びになるので、次回生まれ変わるときに、親と子の立場を逆にして生まれてくることがあるというものです。
子供の立場では「親はこうあるべき」として恨んでしまったが、同じ相手と立場を逆にし今度は自分が親になった時に、「こうあるべき親」になれるかどうか、相手の気持ちを理解し、恨み心を解消できるか試されていると考えられます。
恨み心を解消するのは何故かというと、それは愛とは何か、愛するとはどういうことなのかを恨みを解消するというカルマを通して学んでいるといえるのです。
これは、カルマという思想を信じなければ成り立ちませんが、生まれ変わりを待たなくても、自分が親になって子供を育てる経験を通して親のありがたさに気づく人も多くいます。
毒親であっても感謝できるところもあったと思えるようになれば、生まれ変わって逆の立場を経験しなくても、カルマは解消されていくでしょう。
生んでくれてありがとう
親に感謝できないときには、「生んでくれてありがとう」などとは思えないものです。
特に感謝を強要されると、産んでくれなんて頼んでないと言いたくなってしまうこともあるでしょう。
これは私の体験談ですが、父親に対してどうしても感謝の思いが湧いて来なくて何故だろうと考えていた時期がありました。
それは、大人になってから感謝の大切さを知り、両親に対する感謝のワークに取り組んでみたのですが、母親に対しては感謝の気持ちは出てくるのに、父親に対しては何も思い浮かばないのです。
その理由として、父親との関わりがほぼないまま、父は私が小6の時に亡くなってしまったので、何を感謝していいのか分からなかったのです。
何かないだろうかと考えてみると、私は父親が50歳の時の子供であり、その年齢でよく生んでくれたなという思いくらいしかありませんでした。
それから何年か過ぎ、ある時夢を見ます。
夢は、生まれる前の世界で私がこの時代に生まれたいから父親になってほしいと頼んでいる姿でした。
相手は今世の父親ですが、父は「嫌だ」と言います。
何故かというと、自分はすでに3人の父親になる予定であるので、これ以上子供はいらないということでした。
しかし、他に頼める人もいなかったのか私はなんとかお願いしますと頼み込みます。
根負けした父は言いました。
「分かった、でもお前の面倒はみないからな、ただ生むだけだからな。」という返事でしたが、それに感謝している私がいたという夢です。
実際、4人兄弟の末っ子であり、ほぼ関りもない父親に対して不満をもった記憶もないことは考えてみれば不思議ですが、夢が現実のものであれば、とても納得できるものであり、自分ではそうなんだろうと思っています。
それからは、父親になってくれたおかげでこの時代に生まれることができ、出会うべき人とも出会えた幸せは生んでくれたお陰であると感謝しています。
親に感謝する方法
感謝は無理にはできないが、感謝できるきっかけになる出来事は人生のなかに幾度かあります。
例えば、
- 誕生日などで成長を喜んでくれた時
- 風邪をひいたときに看病してくれた時
- 学費を出してもらっている時
- 生活のために懸命に働いている姿を知った時
- 就職し生計をたてる厳しさを知った時
- 一人暮らしを始めた時
- 結婚した時
- 子供ができ、親の立場になった時
- 口うるさいと思われるのを分かっていても心配してくれる時
- 親が亡くなった時
親だからあたりまえと思ってしまえばそれまでですが、恩を感じないのは感じない何らかの理由があるはずです。
特に、親に反発する気持ちが強くあるならば、そこに自分が成長するための問題があると考えられます。
時期が来なければ問題と向き合うことはできないので、無理に感謝する必要もないかわりに、出来る限り反発する気持ちを抑え、穏やかな毎日を過ごすように心がけるのが良いでしょう。
穏やかな日々を過ごし幸福感に包まれていると、自分の周りには喜びが満ち溢れていると感じられるようになり、少しづつ感謝出来るところにも気づけるようになってくるはずです。
親には感謝しなければならないのか
「親には感謝しなければならないのか」という疑問を持っている人もいるでしょう。
この疑問は親に感謝できている人ではなく、感謝できていないから出てくる思いであることは確かです。
しかし、「親には感謝しなければならないのか」と考えていること自体が、こころの奥では親に感謝したいという思いを抱いている証拠ではないでしょうか。
親には感謝できないが、他の人には感謝できるという人であれば、親にも感謝できるようになれたらいいなと思っているはずです。
他の人には感謝できるが親には感謝する気もないというならば、他の人への感謝も自分の都合のいい感謝になっているのではないでしょうか。
「感謝しなさい」とはいいませんが、親に感謝できないということにとらわれなくなればいいなと思っています。
感謝はしなければならないものではありませんが、なぜ感謝するのかといえば、感謝は喜びだからです。
喜びだから感謝したくなるのです。
今は親に感謝できなくても、恨み心がなければ、感謝できないことにとらわれることもなくなってくるでしょう。
まとめ
親との関係は自分の人格形成にとって、良くも悪くもとても大きな影響を与えるものです。
身近過ぎてお互いに甘えすぎてしまい感謝する必要も感じなくなってしまうのかもしれません。
あたりまえすぎて感謝の気持ちが出て来ないとしても、ありがたいと思える何らかの行為はあるはずです。
そうしたところに気づけと言いたいわけではありませんが、そうしたところに気づくことは喜びであることに気づいてもらえればと思っています。
関連記事