もらうだけの人を卒業するためのスピリチュアルメッセージ
もらうだけの人というと、自分勝手な人を思い浮かべるところがあり、あまりいい印象を受けることはありません。
当の本人も、それでよしとしているところがあるかもしれませんが、もらうだけの人生がどういうものであるかは、スピリチュアル的な視点がなければ分からないところがあります。
この記事では、もらうだけの人を卒業するための、スピリチュアルメッセージをまとめてみました。
与える大切さに気づくきっかけになればと思っています。
目次
もらうだけの人のスピリチュアル的な特徴とは?
もらうだけでお返しを気にしない人は、ある意味では、とても恵まれているのかもしれません。
人の顔色を伺うことなく過ごせるというのは、精神的にとても楽なところがあるからです。
それがいつまで通用するのか、または、それが良いか悪かは別として、もらうだけの人のスピリチュアル的な特徴としては、
- 自己中心的である
- 依存心が強い
- 充実感が得られない
という特徴があります。
自己中心的である
もらうだけの人は対人関係において、自分の欲求や利益を求めることに関心が向いている自己中心的なところがあります。
ですから、自分の関心のない人や物に対しては、とても冷たい態度で接することもあり、基本的には不機嫌な態度でいることが多くなるでしょう。
自己中心的な視点では、他の人の気持ちに寄り添うことなどできないので、信頼関係を築くのが難しくなるだけでなく、他の人から嫌われる可能性も高まってしまいます。
依存心が強い
もらうだけというのは、他者への依存心の高さが表れているといってもよいでしょう。
依存心は自立心を妨げ、精神的な成長を妨げるので、責任を回避するために自分を正当化し人のせいにするところが出てきます。
人からもらうことで結果が左右されているというように、自分の幸せが人任せになっているため、不安や怖れなどのストレスを感じる機会も増えてくるでしょう。
充足感が得られない
もらうだけの喜びは他の人に依存しているので、自分に自信をつけるための方法が、もらい続けることになってしまいます。
求め続けるしかないので、満足感も一時的なものでしかありません。
また、喜びも自分ひとりのものでしかないので、心から喜べる充実感や幸福感を得ることが難しくなってしまいます。
結果として、本当の自信など持てるはずもなく自己肯定感も低くなってしまうでしょう。
もらうだけの人のスピリチュアル的な存在意義
もらうだけの人というと、依存心の強い自己中な人であるという面が強調されるので、もらうだけの人の存在意義を見いだすのは難しいところがあります。
しかし、スピリチュアル的には存在しているという事実によって、何らかの大切な存在意義があることが証明されているといってもよいでしょう。
それは、もらうだけの人と関わることで、与える側は愛の思いとは何かを考えざるを得なくなってくるので、もらうだけの人は、愛を学ぶ機会を提供している面もあるのです。
もらうだけの人は愛を学ぶ機会を提供している
本当の愛は見返りを求めずに与えるものであるといわれていますが、もらうだけでお返しをしない人を批判してしまうのならば、その人も見返りを求める人であるでしょう。
これは、いいとか悪いとか言う問題ではなく、見返りを求める気持ちがあるかないかという問題であり、見返りを求める気持ちが減っていくほどに、愛が深まっていくところはあるでしょう。
「もらうだけの人を批判する人」と、「なぜ、もらうだけでいられるのだろうか?」と相手を理解しようとする気持ちがある人とでは、愛の思いにおいて差があるのは間違いありません。
なんらかの事情があるのではないかと、相手を理解しようとするところには見返りを求める気持ちなどなく、自分の都合のいい人だけを愛する人には持てない愛があります。
私たちは、お返しをする人、しない人など、様々な人と接するなかで、「自分はどうありたいのか」を考えることで、愛を深めていくことができるようになっているのです。
消極的な働きかけですが、もらうだけの人の存在が、愛を学ぶ機会になっているのは間違いありません。
もらうだけの人へのスピリチュアルメッセージ
私たちには自由があり、心の中にどのような考えを持つかは各人に任されていますが、その考えに基づいた行動の結果は自分で受け止める必要があります。
原因と結果の法則、因果応報の法則の繰り返しが単なる繰り返しではなく、成長していくという方向性を持っているものであるならば、もらうだけの人であっても、常にスピリチュアル的なメッセージを受けているところがあるので。
どのようなメッセージがあるかといえば、
- 元々はすべて与えられてスタートしている
- もらうだけでは幸せになれない
- スピリチュアルな視点で見た与える世界とは
- もらうだけの人も愛を学んでいる
という4点です。
元々はすべて与えられてスタートしている
私たちの人生は、環境の差はあれども、すべて与えられてスタートしています。
生きていける環境を与えられ、同じ環境を生きている他の人もいて、そのなかでどのような生き方をしていくかは各人の自由に任されているのです。
環境をより良いものにしていこうと思っているか、ただ消費するだけで満足しているかというところで与える人であるか、もらうだけの人であるかが分かれてくるのです。
もらうだけでは幸せになれない
もらうだけで幸せになれると考えるのは、お金さえあれば幸せになれるという考えと同じようなものです。
もちろんお金の場合は、それをどう使うかという前提があるから、お金さえあれば幸せになれると考えてしまうところはあるでしょう。
お金の使い方は自由ですが、自分の贅沢のためだけに使っても喜びは自分だけのものであり、喜び続けるには、さらに贅沢を続けていくしかありません。
しかし、他の人が喜ぶような使い方をすれば、喜びは自分だけのものではなくなります。
さらに喜びを受け取った人が、他の人にも喜んでもらえるような使い方をすれば、喜びは無限に広がっていく可能性があるのです。
スピリチュアルな視点で見た与える世界とは
もらうだけの世界は、自分の器がいっぱいになるまで受け取ればそこでエネルギーの流れは止まってしまいます。
しかし、受け取ったエネルギーを与えていくとどうなるかといえば、与える対象が増えるほどに自分のエネルギーの流れが大きくなっていくのです。
自分を中心にして放射線状にエネルギーを放っているようなものであり、それはスピリチュアル的に見れば、自分という小さな芽が大きな木へと育っていく姿でもあります。
それと共に、幸福感も多くの人と分かち合える大きなものになるのです。
もらうだけの人も愛を学んでいる
もらうだけの人は、自分が与えているという自覚はないとしても、愛を学ぶ機会を提供しているところがありますが、それと同時に自分も愛を学んでいるところがあるのです。
もらうだけで本当に幸福感を感じているかどうかは分かりませんが、お返しをすることなく、もらうだけで幸せでいられるなら、過去に何らかの徳を積んできたのは間違いないでしょう。
ある意味、徳を使い果たすとどうなるかという学びをしているのかもしれません。
また、人のことなど気にしないと思っている人であっても、いずれ自分と向き合わざるを得なくなってくるはずであり、自分と向き合う時がくれば、もらうだけの人の学びはとても大きなものになると思われます。
それは、後悔が大きくなるほどに、生き方を変える決意も大きなものになるからです。
きっと、その経験が愛深き人になっていくためにはどうしても必要なのでしょう。
まとめ
神様のように与え切りの存在から見れば、私たちの人生は皆、もらうだけの人生であるのかもしれません。
スピリチュアル的メッセージとして、
- 元々はすべて与えられてスタートしている
- もらうだけでは幸せになれない
- スピリチュアルな視点で見た与える世界とは
- もらうだけの人も愛を学んでいる
という4点をあげましたが、結論としては、私たちは、全てを与えられてスタートし成長し続けているといってよいでしょう。
人間心からすれば、もらうだけの人は自分勝手な人ではありますが、全ての人が成長していく流れのなかにあると思えば、自分に対しても他の人に対しても寛容な気持ちでいられるのではないかと思います。
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