生まれ変わりは本当にあるのかないのか?真実はどこにある

2008年の国際社会調査プログラム(ISSP)の調査では、日本人の43%が生まれ変わりは「あると思う」と答え、33%が「ないと思う」、残り24%が「わからない」という結果が出ています。

また、2018年のISSPの死後の世界はあると思うかの調査では。「あると思う」は37.4%、「ないと思う」34,1%、「わからない・無回答」が28.5%となっていて、死後の世界がなければ生まれ変わりも考えにくいので、似たような数値になっています。

生まれ変わりのあるなしは、人生観にも深く関わってきます。

この記事では、「生まれ変わり」があるかないかを考える判断材料になるものをまとめてみました。

きっと参考になるものがあると思います。

生まれ変わりは本当にあるの?ないの?

一般的には、宗教的行事でもなければ、生まれ変わりの話はあまりするものではないでしょう。

宗教によっても生まれ変わりに対する考え方は異なりますが、私は生まれ変わりはあるのではないかと考えています。

このように考えるきっかけとなったのは、法事の席で、「あの世の存在など絶対にない」と語る人の話が不思議に感じられたところから始まります。

その方は心臓の病気で心肺停止状態を経験したけれど、その間、何の意識もなく目覚めたという経験から、そのように考えるようになったようです。

いわゆる臨死体験をして、あの世の存在を確信する人の話は聞いたことはあっても、逆に何も見なかったからあの世の存在などないと言う人がいるなど想像もしていなかったので、驚きを感じたのを覚えています。

私自身は生死に関わる特別な体験はないので、世間に流れている情報を判断材料にするしかないのですが、結局のところ、私が生まれ変わりがあると考えるのは、「生まれ変わりはあると」考えた方が良いのではないかと思えるところが多くあるからです。

生まれ変わりを信じる理由

日本人の43%が生まれ変わりを信じているといっても、絶対にあると思っている人はわずか8%であり、35%は多分あるだろうというものです。

これが多いのか少ないのかは分かりませんが、信じる根拠となっている理由をあげてみます。

生まれ変わりの実話として前世の記憶を持つ子供の存在

前世の記憶を語る子供の話は世界中にあり、日本でも、「現代民話考5」松谷みよ子著 にて、生まれ変わりにまつわる話は紹介されています。

また、アメリカの「生まれ変わり」研究の第一人者のイアン・スティーブンソン博士は、世界中の「前世を語る子供」の事例を集め、その内容を調査したところ、語った過去生の人物が見つかった例もかなりの確立であったようです。

博士の調査は学術雑誌や著書を通して発表され、その証言の矛盾や食い違いなどもすべて記載し、後は読者に判断を委ねるという姿勢であったため、一流の研究者の間でも高く評価されていたようです。

退行催眠で前世の記憶を語りだす

心理療法の中の技法のひとつとして、退行催眠療法というものがあります。

過去の出来事の中に、現在抱えている悩みの原因があることがあり、それを探るために年齢を退行させ調べていくという療法です。

この退行催眠療法をさらに進めていくと、前世や過去世と思われる記憶まで出てくることがあり、トラウマの原因と思われる過去世の出来事を見つけることが治療効果に結び付くことから、前世の証明の根拠になると考える人もいます。

輪廻転生の思想

輪廻転生とは、死んであの世に帰り、またこの世に生まれ変わる繰り返しをしていることを言います。

仏教の教えとして、輪廻転生は縁起の理法とともに語られていて、生前の生き方に応じた世界に帰るという思想は人間完成の道を説かれた仏教の教えとしても、また、人生経験から考えても納得できるものであるため、生まれ変わりを信じる根拠としている人も多いでしょう。

生まれ変わりを信じない理由

生まれ変わりを信じていない人の割合は日本人では33%ですが、アメリカでは生まれ変わりを信じない人の割合は64%あったという調査結果もあります。(2008年の国際社会調査プログラムの調査)

これは、キリスト教では教義上では生まれ変わりはないとされているからかもしれませんが、信じないと考える理由をあげてみます。

証明できない

たとえ、数多くの前世の記憶をもつ子供が語る内容と前世と思われる人物の生涯との一致率が高く、これを偶然と考えるのも無理はあるとしても、だれもが納得できるだけの説明がつかない以上、「何か」あるのではと疑うのは科学的態度でもあります。

また、簡単に信じてしまうのは理性的ではないという考えもあるでしょう。

怪しい霊感商法

仏教などの伝統的宗教の供養は、一周忌、三回忌などの年季法要という決まった型があり、先祖が迷っているから供養しなくてはならないと言うことはありませんが、家庭のトラブルの原因を先祖が迷っているせいだとし、供養のために高額な商品を売りつける霊感商法の話は聞かれたことはあるのではないでしょうか。

また、退行催眠療法を前世療法として、お金儲けの商売としているところもあるようです。

このような悪質商法が入り込みやすい世界であるために、安易にあの世の世界を信じてはいけないと思っている人も多いのではないかと思われます。

仏教でも宗派によって見解が違う

私たちが仏教に一番かかわるのは、お葬式やお盆のお墓参りの機会です。

供養とか、輪廻転生を考える機会でもあり、仏教では、あの世の存在は当然あるとしているかといえば、そうではないようです。

宗派によって見解は違いますが、あの世の存在を認めていない宗派もあります。

また、死後の世界の有無に対するとらわれから離れることが大切なのだと、よくわからない解釈もあるようです。

生まれ変わりのあるなしは、どちらも仏典を詳しく研究すれば明らかであると言っているようなので、解釈の違いとしかいいようがありません。

あの世の専門家と思われる人たちが認めていないならば、一般の人も認められなくなってしまいます。

これは、仏教に限らず、キリスト教においても同じように見解は分かれているようです。

関わらない

「『生まれ変わり』はあると思うか?」という調査では、「ある」「ない」「わからない」という選択肢ですが、この問いに対しては、関わらないというのもあるかもしれません。

哲学者のカントは、生きながら霊界を見てくるという霊能力を持ったスエーデンボルグという人に興味を持ち研究し、「視霊者の夢」という著書を出版しています。

そのなかで、あの世の世界の話は嘘とは言えないが、この内容は理性ではどうすることもできない世界であるので、学問の対象にはできない。しかし、内容は否定しないという解釈をしました。

カントは哲学者としての領域を守ろうとしたけれども、後の学問の世界では科学的ではないということで、ないものになってしまった流れがあるようです。

このように、関わらないというのは、自分の領域外だから関わらないというものと、無視してしまったほうが楽だから関わらないというものがあるように思われます。

真実はどこにある

生まれ変わりを推測させる研究が根拠を示しても、決定的な証明にはならないところがあり、信じるか信じないかは各人の判断に任せるしかありません。

しかし、研究しなくても、確実に分かっていることもあり、それをもとにして判断していく考え方もあります。

確率的に考える

私たちが確実に分かっているのは、人間には寿命があって必ず死ぬということで、これは確率的には100%間違いありません。

では、生まれ変わりは「ある」のか「ない」のかはどうかというと、どちらも確率的には半々の50%です。

しかし、現実論でいえば、「ある」か「ない」かのどちらかであり、100%か0%のどちらかでしかありません。

そうなると、また違った考え方もでてきます。

賭けるとするならどちらがいいか

生まれ変わりやあの世の存在は証明できるものではなく、あると信じるか、ないと信じるか、の問題になります。

ないと信じていて、死んでから実際になくても、なにも問題はありません。

あると信じていて、実際にあったならば、あると信じて良かったということになります。

問題になるのは、ないと信じていて、実際には本当にあった場合です。

死ねば終わりだからと、人の迷惑など構わず好き勝手な生き方をして、もしあの世があったらどうなるでしょうか。

好き勝手に生きてきた反作用があるかもしれません。

このように考えると、あると考えても何も問題はないけれども、ないと考えるほうにはリスクが伴ってくる。

パスカルは「パンセ」(思索)のなかで、このような確率論によって信じるか信じないかを考えれば、答えは明確になるだろうと述べています。

人生観にどう影響するか

生まれ変わりがあり、生命が永遠に続くと信じるのと、信じないのでは、人生観に与える影響も変わってくるはずです。

まずは、それぞれのメリット・デメリットからみていきましょう。

生まれ変わりを信じるメリット・デメリット

生まれ変わりを信じるメリットとしては、自分のしてきた行動が、今世で報われなくても来世に引き継がれるので、努力は決して無駄にならないと思えるところがあります。

また、先に亡くなった大切な人達があの世で見守ってくれていると思えば、励みになるだけでなく、悪いことから遠ざかろうと考えるようにもなるでしょう。

デメリットとしては、生まれ変わりがあるならば、今の苦しみから逃れて今世の人生はリセットしてしまおうと考えてしまう可能性があげられます。

生まれ変わりを信じないメリット・デメリット

生まれ変わりを信じないメリットとしては、人生が今世限りであるならば、今世の人生を無駄にすることなく、悔いのないように大切にしようと積極的に生きようと思えるところがあります。

デメリットとしては、死ねば終わりだから、自分勝手に生きて何が悪いと考えてしまったり、結果を得ることに執着しがちになるところがあるでしょう。

人生観を分けるもの

生まれ変わりのあるなしに関わらず、それぞれにメリット・デメリットがありますが、どちらにおいても、人生を深く見つめなければ人生観は良いものにはならないようです。

生まれ変わりを信じるならば、あの世とこの世の関係はどうなっているのか、何のために生まれ変わりがあるのかまでに踏み込んで考えていく必要があります。

そうでなく、生まれ変わりを単なるオカルト話としてとらえていては、生まれ変わりを信じないよりも危険なところがあるかもしれません。

人生をこの世限りで考えるケースでは、考えがこの世限りであるがゆえに、人生観の深まりに限界が出やすくなってしまいます。

積極的な行為が可能性を生みだす

生まれ変わりは、あるのかないのかを証明しようとするとき、「ある」という証明は生まれ変わりの事例を数多く集めるなど積極的なものですが、ないという証明は積極的なものではなく、あるという証明を理論的に否定するというものにならざるをえなくなってしまう。

つまり、「ない」を証明するには、「ある」という根拠の存在に頼るしかない消極的なものになります。

「ない」可能性は「ある」の中にしかないからといって、「なんでもあり」ではありませんが、可能性を否定する行為が「ない」の証明になってしまうのです。

「ない」という結論の特徴は、可能性をなくしてしまう判断になるところだといえます。

否定を積極的なものにするには

生まれ変わりの証明となる根拠は、否定しようと思えば脳の作用による幻覚がある以上、なんとでも否定できます。

しかし、否定のための否定は建設的でないのが残念なところです。

否定を建設的なものにするには、証明となる根拠が先走りしないように、根拠とするものの足らないところを指摘することで、積極的なものになります。

信じる人がおかしな人ばかりであれば、否定するのも当然ですが、そうでないのならば、可能性はあるかもしれないとしてもよいかもしれません。

可能性があるというのは、未来に対する希望でもあるからです。

生まれ変わり研究の成果

臨死体験、退行催眠などから、生まれ変わりの仕組みについて共通する話も多くあります。

  • 人間はあの世とこの世を輪廻転生しながら、魂の成長をめざしている。
  • 生まれ変わる時には指導役の魂の助言を受けて、自分の人生の計画を立ててくる。
  • 過去および前世の行為の結果として現在があるという因果応報の仕組みのなかで、自分が学ばなければならない環境を選んでいる。
  • 過去に縁のある人とともに人生計画を立てることが多い。

などですが、昔からの言い伝え、宗教の教えの中にも出てくる私たちにも馴染みのある話もあります。

このような話から、生命には目的があり、自分の人生には意味があるのだ感じられる人も多く、生きる希望を見出す結果につながるところは、良い結果を生み出しているところでしょう。

死別による心の傷を癒す 

死別による悲しみは人生のなかでは誰もが経験することでしょう。

なかでも、事故や災害などで子供を失った心の傷は、カウンセリングを受けたとしてもなかなか癒されるものではありません。

このような悲しい出来事を受け入れられるようになる過程では、子供が死後の世界で生きていると思えることが、悲しみを乗り越える大きな力となってくれます。

実際にとてもリアルな夢で亡くなった子供と再会したり、自らの臨死体験のなかで、子供があの世の世界で存在していることを確信される方も多いようです。

これを、悲しみに耐えきれなくて、脳が発している作用による錯覚であると言われる可能性もありますが、癒しの観点からみてもこのような実例報告は生まれ変わりの研究の大きな成果であるといえるでしょう。

あるのかないのかの判断が生み出すもの

生まれ変わり研究の成果から考えると、生まれ変わりはあるのかないのかの真実は白黒決着つけるためのものではなく、そこからどういう人生観を導き出すかということになるでしょう。

人生観は何を信じているかにかかっています。

目に見える世界のなかでは、目に見えないものは確認しようがないので、そこから信じるという行為が生まれくるのです。

信じている内容が人生を創っていくならば明るい未来を信じたいものです。

生まれ変わりがあろうがなかろうが、困らない人生観を持ちたいものです。

まとめ

普段意識することのない「生まれ変わり」があるかないかを考えるきっかけは人生の中で時折訪れます。

  • お盆の時期の先祖供養やお墓参りの習慣。
  • 身近な人が亡くなる経験。
  • 病気や事故で死を意識する。
  • 歳をとって自然に考えるようになる。

こうした出来事は、「生まれ変わり」はあるかないかだけでなく、自分の生き方について真剣に考えるきっかけにもなります。

人生に無駄なことは何もないと言われているのも、何らかの学びの機会だからでしょう。

あの世の世界を考える時の参考になれば幸いです。