自分を許す言葉を受け入れるために必要なものとは何か
自分を許す言葉とは、ダメな自分を否定せずに肯定する言葉であり、ダメな自分でも愛されていると感じられる愛ある言葉です。
しかし、自分を許せない時には、そんな愛ある言葉を素直に受け取ることができません。
何年、何十年という間、苦しみと共に人生を歩み、いい加減自分を許してもいいのではないかと思えるくらい苦しみ、ようやく自分を許す言葉を受け入れられるようになる人も多いのではないでしょうか。
この記事は、自分を許す言葉を受け入れるために必要なものは何かを明らかにしました。
きっと自分を許してもいいと思えるようになるでしょう。
目次
自分を許す言葉を受け入れるには
自分を許す言葉を受け入れられないのは、受け入れることが出来ない何らかの理由があるはずです。
「自分を責めることなどないよ」とか、「誰もあなたを責めてなんかいないよ」とか言われて、確かにそうだなと思えれば、自分を許してもいいかなと思えるのですが、どんな言葉をかけられても、自分の気が済まなければ許すことなどできません。
自分の罪の意識が単なる思い込みであるならば、その事実に気づいた時には許せるようになるでしょうが、人を傷つけた記憶は、励ましの言葉だけでは簡単に消せないところがあるのです。
犯した罪の罪悪感は、励ましの言葉だけでは消すことはできないように、たとえ犯罪とまで言えないとしても、小さな罪の意識も積もれば心のなかで大きなものになっています。
罪悪感が大きければ罪の意識に囚われてしまうのも仕方ありません。
罪悪感から解放されるには、まずは罪悪感と向き合う必要があるのです。
それが、反省と感謝という2つの方法なのです。
反省と感謝が許す言葉に力を与える
自分を許すことができない人の特徴として、反省と感謝が上手く出来ないところがあります。
反省すべき行動が溜まっていけば自分を許せなくなる。
感謝することなく過ぎていっても自分を許せなくなる。
というものです。
反省と感謝が上手く出来ないというのは、間違った反省と感謝になってしまう傾向をもっているといってよいでしょう。
正しい反省と感謝を習慣にすれば、心の奥にある罪の意識は次第に薄くなっていきます。
これらは、罪悪感に対してダイレクトに働きかける力となり、ある程度続ければ、自分を許す言葉も心に響くようになり、自分を許してもいいと思えるようになるでしょう。
反省の習慣
自分を許せない人の反省の特徴は、自分を裁くことをもって反省としているところがあります。
悪い自分、ダメな自分を責め続けるだけでは、それは反省ではなく、ただの裁きにしかすぎません。
悪い自分、ダメな自分という言い方が適当かどうか分かりませんが、未熟な自分といってもよいでしょう。
未熟な自分に気づき、より良い人間になろうと決意するから、過ちを修正し成長していけるのであり、これが本来の反省の姿であるのです。
自分を裁いてしまうような反省は、誰も幸せにすることはないのだと知る必要があります。
罪の意識は心のなかではマイナスの人生を生きてきたという感覚であり、反省はマイナスを減らしていくという借金を返していくようなところがあるのです。
大きな借金であれば一度には返せなくても、少しずつでも返していこうという気持ちを持ち、実際に負債が減っていくのが分かれば、借金があっても毎日明るく生きていくことは可能です。
出来れば毎日、一日を振り返る時間をとって、人に対して悪意を向けなかったか、相手を否定したり決めつけた態度をしなかったかなど、日常的な些細なことを点検し、自分を正当化して相手を責めてなかったかどうかを点検してみましょう。
悪かったと思えば、実際に謝罪出来るのならばそれに越したことはありませんが、出来なければ、心のなかで謝り、これからの接する態度を改めれば、謝罪の気持ちは相手に必ず伝わります。
もともとは自分が不当に傷つけられたことが原因であっても、それがもとになり、人を責める傾向がでてきているところがあるので、自分の過ちを点検していくことで、自分を不当に扱った相手を許せるようにもなるでしょう。
人のせいであり、不当なことであると思えても、不当だと思い続けていれば自分を傷つける結果になり、自分を許せなくなってしまいます。
自分で自分を傷つけるのも罪なのです。
マイナスの人生から脱却できていると思えれば未来に希望も持てるようになり、自分を許す言葉も受け入れられるようになるでしょう。
また、どうしても自分を責めてしまうのであれば、感謝から始めるのもよいかもしれません。
感謝を習慣にする
無理にする感謝は本当の感謝ではないといわれる人もいるかもしれませんが、当たり前の生活のなかにはありがたいことが溢れているので、感謝できる日々が本来の姿だといってもよいと思います。
罪悪感の強い人は、感謝したい人に対して、その人と比べると自分の足らないところが気になり、さらに自分を責めてしまう傾向があるので、素直に感謝できなくなりがちです。
また人から感謝されるのも苦手なところがあるでしょうが、他の人からの好意を素直に受け取らないというところは、反省に値するかもしれません。
感謝はできるか、できないかではなく、するかしないかというものなので、習慣にしてしまえば当たり前になり、心から感謝できる機会も増え、感謝されることにも慣れてくるはずです。
日常的に感謝することが習慣になってくると寛大な気持ちになれるので、自分や他人を許す力にもなります。
なぜなら、感謝は人を認めるという愛の行為であるからです。
自分を許す言葉が許せない
自分を許すとは、自分を許す言葉が受け入れられるということです。
受け入れられない時には、その言葉に反発する思いが湧いてきたりもします。
- 無理しなくていいんだよ
- 普通でいいんだよ
など、善意でかけられた言葉に対して、反発したくなるほどの何かがあるなら、そこに大きな原因があると考えられます。
具体的に何があるのかは、自分では触れたくない部分でもあるので、気づくことは難しいものですが、反省と感謝によって反発が減ってくるほどに、触れたくない部分が明らかになってきます。
感情を味わう
反省と感謝によって感情と向き合えるようになると、それと共に感情を味わえるようになります。
感情はその気持ちを味わってあげると、解消されていくという特徴をもっているので、許せない思いが湧いてきた時は、感情を味わう絶好のチャンスなのです。
それは、感情に寄り添い理解してあげるチャンスでもあります。
過ぎてしまえば、感情を味わうこともできないので、チャンスを逃さないように意識しておくとよいでしょう。
自分を許してもいい
私たちは、過ちを犯しながら学び成長していく存在であるなら、生きている限り許せない行為をしてしまうのも無理はなく、罪悪感を完全に消し去ることなど出来ないのです。
自分を許せない人は、完璧を求めすぎてしまい、罪の存在が許せないのかもしれません。
許せない自分がいることが許せないというが、過ちと共にある私たちは、許しながら生きていくしかないところがあります。
だから、自分を許してもいいのです。
日々、良い人間でありたいと努めているなら、誰もあなたを責めることなどできません。
あなたは、努力している人を責めることができるでしょうか?
それを自分自身に問いかけてみればよいでしょう。
自分を許す言葉を唱える
自分を許す言葉は、自分自身に対する愛のある言葉であれば、どんな言葉でも大丈夫ですが、自分を責めてしまう時には、アファメーションとして、簡単な言葉を唱えるのもよいでしょう。
その言葉とは、
- 私は自分を許すことができる。
- 私は自分を許してもいい。
- 私は自分を許すだろう。
- 私は自分を許します。
という4つの言葉です。
この言葉を心のなかでもよいので順番に唱えていきます。
その時々の心境によって受け入れられる言葉も変わってくるので、その時にすんなり唱えられる言葉を繰り返すのがよいでしょう。
無理に許そうと思うのではなく、許せそうな可能性を感じられる言葉であれば、無理なく唱えることができるので、許せそうな気持ちが強まってくるはずです。
一度試してみてください。
まとめ
心の奥にある許せない思い。
それは反省が出来ていないところでもあります。
過ちを修正することなく、自分を許す言葉をかけても効果はあまり期待できません。
言葉の効果は、反省と感謝が進むとともに発揮されるようになってくるのです。
感謝はポジティブな行為だとわかりますが、反省もとてもポジティブな行為なのです。
きっと、その効果に驚かれることでしょう。
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