過去の過ちが頭から離れない!後悔とどう向き合い償えばいいのか

過去の過ちは、過ぎた出来事であっても事実として消し去ることができないので、その事実を思い出せば、今現在の苦しみとなってしまいます。

時折思い出してしまう過去の過ちは、心の中で消化されずに残っているから出てくるものなのです。

何らかの方法で消化させてしまわないと、いつまでも、あなたを苦しめることになってしまいます。

この記事では、過去の過ちがなかなか解消できない原因と、解消する方法をまとめました。

新たな視点が得られるのではないかと思っています。

過去の過ちが頭から離れないのは何故か

過去の過ちが頭から離れないのは、自分のした過ちに罪悪感を感じているわけですが、そのもとにあるのは恐れを抱いているからでしょう。

過去の過ちがバレるのが怖いのも、過ちを犯した動機が自分勝手すぎると自覚しているからに他なりません。

バレたら罰を受けなければならないという恐れがあるので、バレた時に自分を正当化できる考えを一生懸命探してしまうこともあります。

しかし、いくら正当化できるような考えを思いついても、罪悪感が消えることはありません。

それは、罪悪感という恐れから逃れようとしている行為でしかないからです。

逃げるのは怖いという思いを持っているからですが、逃げるたびに怖いという思いを積み上げていくことになるので、恐れは逃げれば逃げるほどに大きなものになってしまいます。

過去の過ちを後悔するとき

過去の過ちには、分かっていて犯した罪と、知らずに犯してしまった罪とがあります。

自分の欲が強すぎて人が傷つこうが平気でいられることもありますが、冷静になってみると大変なことをしてしまったと気づいたり、悪気など全くなくても、後で深く傷つけていたことに気づくというような出来事もあるでしょう。

過ちは心の中に過去の出来事として残っていても、過ちとして気づかなければ罪悪感として感じることはありません。

自分の過去の過ちを後悔できるようになったのは、罪を自覚できるようになり、問題に向き合えるようになったことを表してます。

後悔するところから反省が始まり、過ちを改めようと思えるようになることは忘れてはならないところです。

過去の過ちと向き合う難しさ

過去の過ちと向き合うのが難しいのは、恐れに立ち向かわなければならないからです。

原因と結果の法則により罪悪感という怖れは罰としてやってくるとしても、それがどの様なものなのか分からないところが怖れを大きなものにしてしまいます。

そこで、自分が行った行為の報いを受けなければならないなら、自分で自分を罰することで罪を償おうとしてしまうところがあるのです。

無意識でなされている行為ですが、自分で自分を罰したところで罪悪感は無くならず、逆に罪悪感をさらに強めてしまいます。

罪悪感が深まれば、さらに罪悪感を感じるような出来事を引き寄せてしまうことを知っておく必要があるでしょう。

罪悪感が引き寄せるもの

無意識のうちに自分を罰する行為を続けていくのは、自分に対して「お前は悪い奴だから裁きを受けよ」と言い続けているようなものです。

自分を罰しながら罪を償おうとする行為は、ある意味とても誠実そうではありますが、そんな行為を続けていけば罪悪感はさらに深まり、思いに応じた出来事として、「自分は悪い奴だ」と感じる出来事をさらに引き寄せるようになってしまいます。

人を傷つけたくないと思っていても、傷つけてしまうような方向に向かってしまうのはとても悲しいものです。

特に、愛する人を傷つけてしまうのは、自分のせいだとしても、傷つけてしまった罪悪感と苦しみは、とても大きなものになります。

しかし、こうした経験を通して、自分が引き寄せていることに気づけるようになってくるのです。

過去の過ちを償う方法

罪悪感を持ち続けることで罪悪感を感じる出来事を引き寄せていると気づくことは、大きな転機になります。

自分が引き寄せているならば、自分を変えていくしかありません。

しかし、過去の過ちを償う方法を知る前に知っておくことがあります。

それは、

  • 過去の過ちを反省する
  • 過ちを犯さない人はいない
  • 過ちを償うことが人生の目的ではない

というものであり、この前提のもと、ではどういう生き方をすればいいのかという問題になるのです。

過去の過ちを反省する

過去の過ちを償うには、過去の過ちを認め、これからプラスの人生を歩んでいく決意をすることです。

まずは過ちを認め反省する必要がありますが、謝罪して関係が修復できればそれでいいという考えでは、いずれまた同じことを繰り返してしまうでしょう。

相手との関係が修復できてもできなくても、これからは自分の幸せを考えるだけでなく、他の人に喜ばれるような人生を送っていこうと決意してようやく反省したといえるのです。

過去の過ちを償う方法は、人生をプラスに変えていくしかなく、犯した過ちの報いがくるならば甘んじて受け入れるという覚悟が必要になります。

また、こうした心がけを持つことで、恐れが離れていくようになるのです。

過ちを犯さない人はいない

聖書の中に、罪を犯した女性に対して石打の刑を執行しようとしていた人達にイエスは、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者がまず石を投げなさい」と言ったところ、誰も石をなげることができなかったという話があります。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるのも、罪を犯したことがない人などいないからでしょう。

それでも生きていけるのは、犯した罪を後悔しながらも、より良い生き方をしていこうと努めているから許されているのだと思われます。

これは、何を物語っているかといえば、自分の罪に囚われすぎてはいけないということでしょう。

過ちを償うことが人生の目的ではない

過ちを犯しながら生きていくのが人間であるならば、私たちは過ちを償いながら生きていかなければならないと考えてしまうかもしれません。

しかし、自分を許すことができずに罰し続けてしまうなら、その人生は過ちを償うための人生になってしまいます。

過去の過ちを認め、これからプラスの人生を歩んでいくとしても、プラスの人生を送るのは、マイナスの人生を取り戻すためだけにするのではありません。

過ちを償う気持ちであれば、初めのうちはそのように思ってしまうのも仕方ありませんが、プラスの人生を歩んでいくのはそれが喜びであり、多くの人の幸せに繋がっているからするのです。

償いだけの人生にしてしまうと、人生は苦しいものになってしまいます。

人は誰でも他の人のお役に立てることに喜びを感じるものですが、それを忘れてしまうところから過ちを犯すようになってしまうところがあるのです。

過去の過ちが許せないのは何故か

過ちを償いプラスの人生を歩もうとしても、なかなか自分を許せない人もいるのではないでしょうか。

過去の過ちが許せないのは、正義感が強いという面があります。

正義感が強ければ、過ちに対して厳しくなるのも仕方ありませんが、これは自分に対してだけでなく、他の人に対しても厳しくなっていることを忘れてはなりません。

それは自分の正義に基づいて行動しているので、否定的な思いを出し続けていることに気づけないのです。

他の人のダメなところばかりが気になれば、それは否定的な思いを投げかけている状態であり、それではプラスの人生を歩んでいくことはできません。

ここのところが、プラスの人生を歩んでいくことを妨げている原因になってしまうのです。

人の粗が見えすぎるのが問題であるなら、その逆の見方を伸ばしていくのがよいでしょう。

自分をほめる、人をほめる習慣をつくっていくことで、粗が気にならなくなってくるでしょう。

過ちを許すために自分をほめる

過去の過ちが許せないうちは、自分のダメなところばかりに意識がいっているはずですが、実はこれは普段、自分の良いところを見ずに、足らないところばかりに意識を向けてきた結果でもあるのです。

自分の良いところが見えない人は、人の良いところも見えません。

見えるとしても、自分の関心のあるところか都合のいいところしか見えていないはずです。

意識して自分の良いところを見ていく、自分をほめていくことで罪悪感も自然に薄れていきます。

習慣にするために、一日の終わりに一定の時間、5分でもよいのでノートに自分の良いところ、今日の自分の行動でほめられるところを書き出していく。

また、今日出会った人の良いところ、ほめられるところも書き出していくのがよいでしょう。

今まで見てこなかった自分の良いところや人の良いところが見えてくると、気持ちも明るくなり、プラスの人生を送る喜びも感じられるようになります。

まとめ

後悔している過去の過ちが頭から離れないのは、反省している証拠ではありますが、償い方を誤るとさらに自分を苦しめてしまいます。

プラスの人生を歩もうと思っても、自分の悪いところばかり見ていては、マイナスの人生を送ることになってしまうのです。

自分や他人をほめる習慣がプラスの人生を歩み、過去の過ちを償う力になってくれます。

参考になれば幸いです。

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