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不幸でいたい心理に惑わされないために

不幸になりたいと心から思っている人はいないと思いますが、不幸でいたいと無意識のうちに思ってしまうことは誰にでもあるかもしれません。

この記事では、なぜ不幸でいたいと思ってしまうのか、その心理と不幸でいることをやめる方法を紹介します。

不幸でいたい心理

不幸でいたい心理になるのは、不幸でいることに何らかのメリットがあるからです。

不幸でいることにメリットを感じているならば、不幸でいることを良しとしてしまうのも無理はありません。

不幸で得られるメリットとしては、

  • 同情してもらえる
  • 責任回避できる

などがあります。

同情してもらえる

自己肯定感が低く、誰も自分に関心などないだろうと思っている人にとっては、同情してもらい自分に関心が向けば、心理的に安心感を得ることができます。

感情的な支えや物理的な援助を受けられる場合もあり、不幸でいることによって得られる愛情はとても心強いものになるのです。

責任回避できる

人から同情されるような状況にあると、自分の失敗や過失に対する責任が軽減されることがあります。

「そういう状況なら、仕方ないね」と責められる心配がなくなれば、義務感、責任感からくる罪悪感を持たずにいられるのも大きなメリットです。

不幸でいたい心理の正体

不幸でいたい心理とはどういうものかといえば、

愛情を得るためには不幸である必要がある。

または、責任から逃れるためには不幸である必要がある。

というものであり、これは、まだ自立していない状態であり、人の世話になることで喜びを得ている段階にいるといえます。

このような状態は、乳幼児であれば温かく見守ってもらえるでしょうが、成長するとともに自立することを求められるようになれば通用しなくなってくるものです。

不幸でいることをやめるには

不幸でいたい心理が、自立したくない気持ちからきているならば、不幸でいることをやめるには、依存体質を自立体質に変えていく必要があります。

自立心を高めていくために大切なのは、人のせいにしないことです。

人のせいにしないで生きていくから、責任も取れるようになってくるのです。

自立心をもって社会生活を送っていけば、自然に自立心も高まり、それとともに主体的な行動もできるようになってきます。

そのための具体的方法としては、

  • 自分を変えたいと思うまで待つ
  • 日常生活に感謝する
  • 不平不満を言わない
  • 心の平安を保つ

などがあります。

自分を変えたいと思うまで待つ

たとえ今の自分が嫌であり、不幸であるとしても、慣れ親しんだ不幸は自分にとっては普通の生活であるので、変化を起こすには勇気がいります。

不幸であるといっても耐えられる範囲内であり、あらゆる面において不幸であるわけでもないならば、我慢していたほうがいいと思ってしまうのも無理はありません。

また、どうしたらいいのか分からないので、運命の流れが変わるのを待つように、誰か助けてくれる人が現れるのを待っているところもあるかもしれませんが、最終的には、自分を変えたいと思う時期がくるまで待つしかないでしょう。

その時期とは、不幸を演じている自分に気づくときでもあります。

それまでは、今のままで仕方ないと思っているとしても、それが悪いわけではなく、何らかの学びを得るための期間であることも多いものです。

日常生活に感謝する

自分を変えるための行動が大きな努力を伴うものであれば、余程の覚悟がなければ行動に移すことはできませんが、日々の小さな習慣を積み重ねていくことなら、心がけ次第で出来そうな気がするのではないでしょうか。

それが感謝を習慣にすることであり、不幸でいることをやめる一番確実な方法でもあるのです。

それは、「感謝なきところに幸せはなく、日々の生活に感謝できる人は幸せな人である」という事実が物語っています。

多くの人は、感謝できるときには感謝しているから問題ないと思っているところがありますが、感謝は意識して日々の習慣にしておかないと、すぐに自分の都合のいい時だけのものになってしまうものです。

毎日、少しの時間でもいいので、感謝と向き合う時間を作ることがよいでしょう。

不平不満を言わない

感謝の習慣を妨げるものが、気づかないうちに言っている不平不満です。

不平不満は感謝を妨げるものですが、自分では不平不満を言っているつもりがないので、感謝が深まっていかないのです。

不平不満も意識していなければ、気づかないものですが、意識していればすぐに気づけるようになってきます。

意識し始めると、自分が言っている不平不満の多さに愕然とし、改めようと思うようになるはずです。

心の平安を保つ

日々の生活のなかで、不平不満を言うことなく感謝できるところに表れてくるのが心の平安です。

心が穏やかで安らいでいる状態は、刺激がなくつまらないと思う人もいるかもしれませんが、平安な心であれば物事が上手くいき過ぎても調子に乗ることなく冷静に眺めることができるようになります。

また、心が穏やかであるから心の奥から湧いてくる深い喜びを感じることができるのです。

心が乱れている時には不安の虜になりやすく、怒りっぽくなってしまいますが、心が穏やかであれば、良い気づきも得られるようになり、積極的な行動もできるようになってきます。

不幸でいたい心理に惑わされるな

不幸でいることで与えられて喜んでいるだけであるなら、それは一方的なものでしかありません。

与えてもらうのを当たり前と思ってしまえば、与えてもらえないことに対して恨みをもってしまうこともあるでしょう。

不幸でいるから与えてもらえるのではなく、不幸な状況にあっても与えてくれる人がいる有難さに、気づく機会を与えられているのです。

感謝の気持ちが報恩となり、互いに与えあえば、立場に応じた責任感も育ち、成長にともなう喜びを味わえるようになってきます。

与えあう喜びは広がっていくものですが、もらうだけの喜びは閉じ込められた世界に入っていくだけのものであり、閉じ込められた世界からの誘惑が不幸でいたい心理であるのです。

まとめ

不幸でいることをやめられないのは、幸せになるには苦労しなければならないと思っているところもあると思われます。

確かに、慣れ親しんだ世界を離れるのは不安ではありますが、苦労しなければならないという思いがなくなれば、前に進んでいくのも容易になるのではないでしょうか。

感謝し、不平不満を無くしていこうとする生活にも苦労が伴うかもしれませんが、それは恐れるような苦労ではありません。

実践していけば心の平安として表れてくるので、日々の心の状態を確認すれば、感謝できているか、不平不満を言っていないかどうかも分かるようになってきて、心が平安であることの幸せを感じられるようになってくるはずです。

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