「人生は思い通りにならない」 でも大丈夫です!それでも幸せになれます
人生が思い通りにならないのは確かですが、思い通りにならないという事実をどのように受け止めるかによって人生は大きく変わってきます。
思い通りにならない事実を受け入れることが我慢を強いられるものであるなら、それは苦しみかもしれません。
しかし、そもそも「思い通りにならないのは悪いことなのか?」という疑問もあるはずです。
この記事では、思い通りにならない人生を幸せに生きていくための考え方をまとめてみました。
人生を明るく考える切っ掛けになればいいなと思っています。
目次
人生が思い通りにならなくて得られるメリット
物事には良い面もあれば悪い面もあるように、人生が思い通りにならないことにもメリットがあります。
それは、
- 問題に取り組むことで成長していける
- 人の心の痛みが分かるようになる
- 芸術が生まれる
などです。
問題に取り組むことで成長していける
人生が思い通りにならないのは辛いものですが、辛いからその問題に取り組み解決する方法を考えるようになり、結果として成長し、人生を有意義なものにできるところがあります。
具体的な夢や志を持っている人であれば、理想を叶えるために必要な問題に自ら取り組むことができるでしょうが、多くの場合、何も問題がなければ毎日の生活に流されてしまうだけで過ぎていくのではないでしょうか。
人は何もする必要がなければ堕落していく傾向がありますが、生活していくために仕方なく働いているとしても、それが結果として人生を豊かなものにしてくれているのは確かです。
人の心の痛みが分かるようになる
何でも思い通りに進んでいくと、上手くいかない人の粗が見えるようになり、その人の心の痛みに気づけなくなる傾向があります。
かつての苦労も順調な日々を過ごしていくうちに次第に薄れていってしまうからでしょう。
ポジティブ過ぎて、すべて上手くいくと考えていると、人の気持ちが理解できなくなり、周りから敬遠されてしまうところがありますが、思い通りにならない経験が優しさとなり、支え合う大切さを育んでくれるのです。
芸術が生まれる
「思い通りになる」というのは素晴らしいことですが、思い通りになっているという出来事を物語や歌にしても面白くはないでしょう。
感動する映画の多くは、逆境を乗り越えていく姿が描かれています。
歌であっても、「ただ思い通りの人生を歩んでいる」というだけでは、心に響くものがなく、物足らなく感じるのではないでしょうか。
思い通りにならない人生経験を経て、それが心の深みとなり、その想いを表現するところから様ざまな芸術作品が生まれてきていると考えられるのです。
なぜ人生は思い通りにならないのか
なぜ人生は思い通りにならないかといえば、人はひとりで生きているわけではないからです。
人にはそれぞれ自由意思があるので、自分の思い通りにすることはできません。
たとえ善意の思いであっても、その思いを受け入れるかどうかは各人の自由に任されています。
また、環境の変化は個人の力の及ぶところではなく、予測できないことばかりです。
さらには、自分の気持ちさえも完全にコントロールできるものではなく、時には感情に翻弄されてしまうこともあるので、なおさら思い通りにはなりません。
思い通りにならない人生を幸せに生きる心構え
思い通りにならない人生を幸せに生きるための心構えとして知っておきたいことは、
- 人生が思い通りにならないのは悪いことではない
- 思い通りにならなくても幸せになれる
という2点です。
人生が思い通りにならないのは悪いことではない
人生は思い通りにならないものとして受け入れる必要はありますが、思い通りにならないことは決して悪いことではありません。
もちろん思うようにならずに、辛く、悔しい思いもするでしょうが、その経験が後々活きてくることはいくらでもあります。
「人間万事塞翁が馬」と言われているように、不幸が幸せに転じたり、逆に幸せが不幸に転じることもあるので、安易に良い、悪いと決めつけられないところがあるのです。
人生が思い通りにならないのは悪いことではないという根拠は、私たちは、原因と結果の法則のもとに生きていて、この法則は私たちを裁くためにあるわけではなく、「私たちを成長させるためにある。」と思われるからです。
思い通りにならなくても幸せになれる
フェリシモが展開する「フェリシモ モノコトづくりラボ」が2023年に実施した「Q、あなたは今、しあわせですか?」というアンケート調査では、
「まあまあしあわせ」 53%
「かなりしあわせ」 21%
「あまりしあわせではない」 13%
「まったくしあわせではない」 4%
「どちらでもない」 8%
という調査結果がでています。
「Q. あなたは今、しあわせですか?」
・「フェリシモ モノコトづくりラボ」https://feli.jp/s/pr230404/1/
回答に寄せられたコメントには、
●私なんて、何にも出来ないことだらけですが、周りの人たちに恵まれて、家族にも恵まれて、これを幸せと言わず何というのだろう。年を重ねるごとに、そう思うようになりました。(かなりしあわせ)
●辛いことや嫌なことがあっても、私には猫がいてくれるから、大切な猫に触れるだけで幸せになれます。(まあまあしあわせ)
●時々集まる友達に恵まれ、近所によく通うCafeがあり、ほぼ毎日ささやかな幸せを感じることができます。息子には年に2回くらいしか会えませんが送るための衣類やお菓子を選ぶのも日々の楽しみです。(まあまあしあわせ)
●更年期で何となく不調、子供の独立間近で寂しい、職場が不景気でいつまで働けるのか不安・・・と、幸せいっぱいとは言い難いですが、特に病気ケガもなく毎日ご飯が食べられるのはありがたいことと思うと何とも言えないです。(どちらでもない)
●家のことやお金、仕事、大きな波は乗り越えたけれど、先行きや老後が不安。 今は大きな難事はないのですが、単調でも平穏に日々過ごしたい。 ウクライナの戦争も早く終えてほしいし、最近強盗など物騒な事件も多いので治安も落ち着いてほしい。(あまりしあわせではない)
●健康で毎日暮らせることと、推しが毎日生きていることが幸せです。(まあまあしあわせ)
(回答者数 187名 アンケート回答期間 2023年3月10日 ~ 2023年5月2日 )
コメントを読んでみると、幸せとは各人の受け止め方次第であることがよくわかり、思い通りにならなくても幸せを感じられる人はかなりいるようです。
思い通りにならなくて辛くなるのはなぜか
私たちは多くの人と共に生きている以上、自分の思い通りにならないのは仕方ありません。
思い通りにならない人生でも各人の受け止め方によって幸福度は変わってくるわけですが、思い通りにならないことで苦しくなるならば、そこには何らかの囚われがあるはずです。
仏教では、その囚われとは執着であり、執着が苦しみの原因であるとされています。
執着とは、望む結果が得られなければ満たされないという思いですが、満たされないという意識を持ち続けたらどうなるか。
それは、満たされていない自分に目を向けている姿であり、足らないところばかりに目を向けていれば苦しくなるのは仕方ありません。
執着が苦しみになる原因の多くは、大きな野望を描いているわけではなく、その執着がささやかなものであるからかもしれません。
ささやかな願いであるのに、日々努力していても叶わなければ、悔しくなるのも理解できます。
しかし、望みの大きさに関わらず、ささやかな願いであっても、その願いに囚われて執着し続け、自分の不足にばかり目を向けているから、そこに苦しみが生まれてしまうのです。
思い通りにならない人生を幸せに生きる
思い通りにならなくて苦しくなるのは、執着があるわけですが、執着とは何かに囚われることであり、執着のもとにあるものが「我」です。
「我」が強くなると、自分のことしか考えられなくなってしまうので、人の気持ちや立場が理解できなくなってしまいます。
人生が思い通りにならないのは、他の人の存在があるからですが、他の人の存在によって自分の思い通りにならないところはあるけれども、代わりに自分ひとりだけでは得られない多くの恩恵を受けているのも確かです。
つまり、思い通りにならなくても幸せに生きるには、自分の力だけでは得られないものを得ている感謝ができているかどうかにかかっているといってよいでしょう。
この感謝には大きく2つの視点があります。
それは、
- 与えられている事実に感謝する
- 生かされている事実に感謝する
の2点です。
与えられている事実に感謝する
「与えられている事実に感謝する」というのは、自分の力だけで得ているわけでなく、他の人の働きのお陰で受け取っているものへの感謝です。
住む家があるのも自分ひとりの働きではできません。
電気のある暮らし
スーパーに買い物に行ける
学校で勉強できる
等々、あげればすべての生活が多くの人の働きがなければ手にいれられないものです。
お金を支払っている対価として受け取っているのだから当たり前ではありますが、自分の力では得ることができないので、お金を支払ってでも手に入れているという事実があるのではないでしょうか。
とてもありがたいことなのに、それがあたりまえの生活になり、いつしかありがたさに気づけなくなってしまっているのです。
便利な世の中であるから感謝するというだけではなく、他の人の働きのおかげで多くのものを与えられている事実に感謝するようになると、他の人に対する不満も減ってきて、思い通りにならないという意識も薄れてきます。
生かされている事実に感謝する
人生が思い通りにならなくて苦しくなるのは、他の人が自分の思うように反応してくれないというところに原因があり、それは、他の人の足らないところばかりに意識を向けているからに他なりません。
それは、他の人に対してだけでなく、社会に対しても不満として表れているはずです。
しかし、事実としては、多くの人の働きかけがあって初めて生きていくことができる。
また、自分の生命も、自分の力の及ばない大いなる働きのおかげで生かされているという事実があるわけです。
かといって、私たちの感謝、幸福感というものは、理屈や考えだけで感じられるものではありません。
幸福感を感じられるというのは、とても神秘的でスピリチュアル的なものでもあります。
毎日の生活の中で、心から感謝の気持ちを味わうことはあまりないでしょうが、生かされて生きているという事実に、時折思いを馳せてみるとよいでしょう。
そうした意識をもつことで、ふとした時に感謝の思いや幸福感が湧き上がってくる機会が増えてくるようになり、その経験が積み重なり感謝も深まっていくのです。
まとめ
思い通りにならない人生を幸せに生きていくためには、
- 人生が思い通りにならないのは悪いことではない
- 思い通りにならなくても幸せになれる
ということを理解する必要があり、思い通りにならないのは、不足しているところに意識が向いているので、自分がいかに周りの環境、または他の人から多くのものを与えられているかに気づくことが大切であるという話をしてきました。
感謝は習慣にしなければすぐに忘れ去られてしまうものです。
ですから、感謝を習慣にするにはどうしたらいいのか、自分なりの方法を考え実践しなければ、すぐに忘れ去られてしまうでしょう。
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